普通ではない現実
「僕の不甲斐ないピッチングで負けてしまったので、取られた分の倍くらいは自分で取り返したいなと思って打席に立っています」
日本シリーズ第3戦、試合後のお立ち台に登った男はこう語った。
今ではその男の投打に渡る活躍を当たり前のように見ている私たちであるが、このことをもし5年前の野球ファンに説明するとしたら...? 信じてくれる人などいないのではないか。
「日本シリーズの開幕戦を任された投手が第3戦では『3番打者』として出場し、3安打の固め打ち。試合を決めるサヨナラ打を放ってヒーローになった」
私たちが当たり前のように目撃している現実は、実はまったく“当たり前”のことではない。むしろこういった光景を“当たり前”にしたことこそ、大谷翔平がこの4年で残した最大の功績なのではないか。
めまぐるしく動いた“主役”の座
連敗で札幌に戻ってきた日本ハム。負ければ崖っぷちの第3戦、相手の先発は電撃引退を発表した黒田博樹だった。
これが最後の勇姿となるかもしれない――。試合前の最大の注目はそこにあった。
黒田は6回途中で負傷降板となるも、後輩たちがそのリードを必死に守る。「黒田さんに勝利を」...。その想いを打ち砕いたのが、不振に苦しんできた主砲だった。
1-2で迎えた8回裏一死一、二塁のチャンス。打席には日本ハムの4番・中田翔。目の前で大谷の敬遠を見せられ、燃えないわけがない。
中田の打球は決して良い当たりとは言えなかったが、レフトの前にポトリ。これを猛チャージでキャッチしに来た広島のレフト・松山竜平が後ろにそらす間に、一塁から大谷が生還。3-2と逆転に成功した。
逆シリーズ、ブレーキなど散々な言われようだった主砲が、札幌で復活。この日の主役を射止めた...とその時は思われた。
しかし、終わってみればご存知の通りで、最後に持っていったのはあの男だった。
これぞ千両役者
日本ハムは1点リードの9回に谷元圭介を投入。ところが、いきなり先頭の鈴木誠也に三塁打を浴びてピンチを迎える。
続くエルドレッドは三振に斬り、松山を内野フライに打ち取って二死まではこぎつけたものの、その後の安部友裕への初球が甘く入ると、鋭い打球がライトへ。リードを守ることができなかった。
そして、試合は3-3のまま9回も終了。延長戦へと突入する。
延長10回裏、広島のマウンドには9回から登板した大瀬良大地。一死から西川遥輝が四球を選んで出塁するも、途中出場の陽岱鋼は空振り三振。二死一塁で大谷が打席に入る。
ファウル、ボールの後の3球目、大谷は空振りを喫するも、ここで西川が盗塁に成功。サヨナラのチャンスを演出する。ここで大谷は4球目に来た内角低めのボール球に手を出してしまうが、打球は一二塁間を突破。二塁から西川が生還し、日本ハムがサヨナラ勝ちを収めた。
この日3本目の安打がサヨナラ打。最後の最後にすべてを持っていった。
勝負を分けた“盗塁のタイミング”
このシーンでポイントとなったのは、西川の盗塁のタイミングだ。
もし陽岱鋼の打席で西川が盗塁を決めていれば、二死二塁で大谷。一塁が空いている状況であれば、前の打席と同様に歩かされていた可能性は高い。
また、大谷の打席であったとしても、それが早ければ敬遠という作戦になっていただろう。ただし、西川が盗塁を決めた時のカウントは「1ボール2ストライク」。大谷は追い込まれていたのだ。
そうなると、バッテリーもそこからわざわざ歩かせるという選択は採りづらい。あるとすれば、「もうストライクはいらない、ボール球で誘っていこう。結果四球はOK」というもの。
そして、大瀬良と石原のバッテリーは内角低めのボール球を投じる。大谷はそこに手を出した。そこまでは狙い通りだった。しかし、打球はヒットコースに飛んだ。
外野は前進守備を敷いておらず、西川の快足を前に為す術はなかった。結果的に、西川の盗塁が遅れたことが勝利に繋がったのだ。
逆転しても追いつかれる嫌な展開。それでも、大谷の一振りでなんとか勝ちきった。負けていれば崖っぷちだったところをひとつモノに出来た一勝は、日本ハムにとってとてつもなく大きい。
自らの負けを「取り返していきたい」と語った大谷。インタビュアーが今どのくらいかと尋ねると、「いや、まだまだ」と笑った。
この一勝が逆襲の狼煙となるか。地元で息を吹き返した日本ハムから目が離せない。