受け継がれてきた伝統の背番号
西武は18日、背番号の変更を発表。浅村栄斗の背番号が「32」から「3」に変更されることになった。
西武の背番号「3」といえば、これまでもチームを代表する選手が背負ってきた伝統ある番号だ。渡辺久信シニアディレクターも「『3』をつけるにふさわしい選手になってきた。チームの中心だし、どんどんチームを引っ張っていかなければいけない」と期待を寄せる。
浅村本人も「ライオンズの背番号『3』に恥じないよう、チームを引っ張っていける選手になりたいと思います」と気を引き締めた。
西武の「3」といえば...?
「3」を背負ってきた選手というと、浅村が14人目。チームの顔が受け継いできた番号ではあるが、期間で見ると意外と長くつけた選手がいないのだ。
最長記録は、清原和博の11年間。1986年から1996年まで「3」をつけて戦った後、FAで巨人へと移籍している。
高卒ながらいきなり「3」を授かった男は、1年目から打率.304、31本塁打の大暴れ。見事に新人王を獲得すると、11年間欠かさず20本塁打以上をマーク。西武での通算本塁打数329は、今シーズン中村剛也に抜かれるまで球団の最多記録であった。
その清原に次ぐのが、9年間の中島裕之。2004年から2012年まで「3」を付けていた、浅村の前任者である。
2003年のオフに背番号「3」を受け継ぐと、2004年にポスト松井稼頭央としてブレイク。打率.287、27本塁打、90打点の活躍でチームの日本一に大きく貢献した。
以降は球界屈指の大型遊撃手へと成長を遂げ、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞も3回受賞。しかし、かねてから抱いていたメジャー挑戦のために2013年からチームを離れ、日本復帰した現在はオリックスで背番号「1」を背負っている。
実力で掴み取った「3」
今回、これまでと違う点を挙げるとするならば、満を持しての“継承”となったところだろう。
ルーキーイヤーから背負った清原をはじめ、玉野宏昌も入団とともに背負った。その後はトニー・フェルナンデス、スコット・マクレーンと助っ人が続き、1年置いて中島が抜擢された流れであった。
ところが、今回の浅村のケースは、ある程度しっかりとした実績、はたらきが認められた上での背番号「3」。与えられたのではなく、自ら掴み取ったという意味合いが強い。
ただの主力ではなく、名実ともにチームの顔としての活躍が期待される。そんな中で浅村がどんな成績を残すのか...。来シーズンの西武を見ていく上で、大きなたのしみのひとつとなるだろう。
5年ぶりに帰ってくるレオの「3」の勇姿を早く見たい。
▼ 西武の背番号「3」
1. 楠 協郎(1950年)
2. 新留国良(1951年)
3. 大下 弘(1952年~1959年)
4. 広野 功(1968年~1970年)
5. 榎本喜八(1972年)
6. 福富邦夫(1973年~1974年)
7. 土井正博(1975年~1981年)
8. ジェリー(1984年)
9. 清原和博(1986年~1996年)
10.玉野宏昌(1997年~1999年)
11.トニー・フェルナンデス(2000年)
12.スコット・マクレーン(2001年~2002年)
13.中島裕之(2004年~2012年)
14.浅村栄斗(2017年~)