FA宣言した岸孝之(西武→楽天)、糸井嘉男(オリックス→阪神)、山口俊(DeNA→巨人)、森福允彦(ソフトバンク→巨人)が移籍先を決めている。岸がFAランクAランク、糸井と山口がBランクということもあり、金銭補償か人的補償プラス金銭を旧所属球団に支払わなければならない。阪神に移籍した糸井の旧所属球団であるオリックスの福良淳一監督は、一軍クラスの選手、つまりは“即戦力”を人的補償で狙うことを示唆している。
過去に一軍クラスの即戦力が人的補償で移籍したケースを見ると、馬原孝浩が当てはまる。馬原はソフトバンク時代の07年に最多セーブを獲得するなど、長年守護神として活躍。しかし、12年に右肩を手術し1年間を棒に振ると、同年オフに寺原隼人のFA移籍に伴う人的補償でオリックスへ移籍した。オリックス1年目は守護神候補として期待されながらも、故障の影響で3試合の登板にとどまったが、翌14年には55試合に登板して33ホールドをマークした。
07年オフに西武から中日へFA移籍した和田一浩の人的補償で、西武へ移籍した岡本真也もそうだ。岡本は中日時代、04年にセットアッパーに定着すると同年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。長年、守護神の岩瀬仁紀に繋ぐ勝利の方程式の一人として活躍し、移籍前年となる07年も62試合に登板し防御率2.89と安定した成績を残した。中日のリリーフ陣を支えてきた岡本だったが、同年オフに人的補償で西武へ移籍。西武では1年目の08年に47試合に登板し、リーグ優勝と日本一に大きく貢献した。
野手では07年オフヤクルトから西武へFA移籍した石井一久の補償選手として、ヤクルトに移籍した福地寿樹がそうだった。広島時代、代走・守備固めでの出場が多かった福地は、06年途中に移籍した西武で打撃力が向上し、レギュラーに近い存在となった。07年には自身初の100試合以上出場し、打率.273を記録した。しかし、同年オフに人的補償でヤクルトへ移籍。ヤクルトでは2年連続の盗塁王を獲得するなど、レギュラーとして活躍した。
その他、06オフにソフトバンクへFA移籍した小久保裕紀の人的補償で巨人へ移籍した吉武真一郎、門倉健の人的補償で巨人から横浜へ移籍した工藤公康などがいる。
過去に一軍クラスの即戦力が人的補償で移籍したケースを見ると、馬原孝浩が当てはまる。馬原はソフトバンク時代の07年に最多セーブを獲得するなど、長年守護神として活躍。しかし、12年に右肩を手術し1年間を棒に振ると、同年オフに寺原隼人のFA移籍に伴う人的補償でオリックスへ移籍した。オリックス1年目は守護神候補として期待されながらも、故障の影響で3試合の登板にとどまったが、翌14年には55試合に登板して33ホールドをマークした。
07年オフに西武から中日へFA移籍した和田一浩の人的補償で、西武へ移籍した岡本真也もそうだ。岡本は中日時代、04年にセットアッパーに定着すると同年に最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。長年、守護神の岩瀬仁紀に繋ぐ勝利の方程式の一人として活躍し、移籍前年となる07年も62試合に登板し防御率2.89と安定した成績を残した。中日のリリーフ陣を支えてきた岡本だったが、同年オフに人的補償で西武へ移籍。西武では1年目の08年に47試合に登板し、リーグ優勝と日本一に大きく貢献した。
野手では07年オフヤクルトから西武へFA移籍した石井一久の補償選手として、ヤクルトに移籍した福地寿樹がそうだった。広島時代、代走・守備固めでの出場が多かった福地は、06年途中に移籍した西武で打撃力が向上し、レギュラーに近い存在となった。07年には自身初の100試合以上出場し、打率.273を記録した。しかし、同年オフに人的補償でヤクルトへ移籍。ヤクルトでは2年連続の盗塁王を獲得するなど、レギュラーとして活躍した。
その他、06オフにソフトバンクへFA移籍した小久保裕紀の人的補償で巨人へ移籍した吉武真一郎、門倉健の人的補償で巨人から横浜へ移籍した工藤公康などがいる。