9月16日阪神戦の初回、いつものように無死走者なしの打席に入った山田哲人は阪神先発・岩田稔の初球を迷わず振りぬくと、打球は左翼席へと吸い込まれた。第24号の一発は、今シーズン6本目の先頭打者本塁打。1955年の佐藤孝夫に並ぶ球団歴代2位の記録として名前を刻み、また4月から毎月1本ずつ先頭打者弾を重ねての6本は史上初という珍しい記録も打ち立てた。
強力打線の先陣を切る“超攻撃型1番バッター”として、山田は今年大きな飛躍を遂げている。月間40安打を2度記録するなど、すべての月で試合数を上回る安打を放ち、今月7日には古田敦也が持っていた球団の右打者最多安打記録を更新してみせた。
そんな山田の前に新たに出現した目標がシーズン先頭打者本塁打の記録である。ヤクルトの1番打者といえば青木宣親がいて、2001年の優勝時には真中満、1992年~1997年の6年間で4度優勝に輝いた黄金期には飯田哲也がいた。しかし、先頭打者本塁打の球団記録を持っているのは彼らではない。
デーブ・ヒルトン。ヤクルトが球団創設初優勝に輝いた時の核弾頭である。1978年に入団テストを経てヤクルト入りすると、いきなり1年目に当時の日本記録であった福本豊に並ぶ8本の先頭打者本塁打を放った。その後、2007年に巨人の高橋由伸がシーズン先頭打者本塁打9本の新記録を達成するが、右打者では1999年の緒方孝市と並ぶ最多記録として今なお名前が残っている。
いわゆる1番らしい1番ではなく、打って出るタイプの攻撃型1番バッターだったヒルトン。さらには右打ちでポジションはセカンド。不思議なことに現在のヤクルトの1番バッターと重なる。
ヒルトンは1978年に打率.317、出塁率は.381を記録。また近年打者の能力を計る指標として浸透しているOPS(出塁率と長打率を足した数値)は.890をマークしている。今シーズンの1番バッターと比較してみると、阪神の上本博紀が山田を除いた12球団の中で最も高いOPS.780。それでもヒルトンとは1割以上も開いている。
しかし、山田はここまで打率.320、出塁率.402でOPSは.929と、全てにおいてヒルトンの数字を上回っている。OPSに関してはチームメイトのバレンティン、西武・中村剛也に次いで12球団で3番目に優れた成績であり、1番を打ちながら主砲に匹敵するような数値を叩き出しているのだ。
時代やチーム状況の違いがあり単純に比較できるものではないが、まだプロ4年目の22歳にして、かつてチームを優勝へと導いた核弾頭を上回る活躍を見せる山田は、今やヤクルトの希望となっている。
9月に入ってから打率.197と調子を落とし、今季初のスランプに苦しむ山田と重なるように、チームも今月はチーム打率.232と低迷。最下位ながら他球団を脅かした強力打線の勢いは影を潜めている。状態が悪い時こそ、チームの先陣を切る山田にかかる期待は大きい。今月は山田に安打が出た試合は5勝2敗、そのうち第1打席で安打を放った場合は3勝を挙げているのに対し、無安打に終わった試合は1勝6敗1分と負け越している。また、山田が先頭打者本塁打を放った試合は5勝1敗で現在5連勝中だ。
チームの命運を握る“超攻撃型1番バッター”として。不振からの脱却を果たし、残り14試合でヒルトンが持つ先頭打者本塁打の球団記録更新は、下位に低迷するヤクルトにおいて、数少ない楽しみの一つなのである。
【9本】
2007 高橋由伸(巨人) 115試合 <.308 35本 88打点> 32歳
【8本】
1972 福本豊(阪急) 114試合 <.301 14本 40打点> 25歳
1978 ヒルトン(ヤクルト) 85試合 <.317 19本 76打点> 28歳
1986 石毛宏典(西武) 111試合 <.329 27本 89打点> 30歳
1996 デューシー(日本ハム) 100試合 <.246 26本 59打点> 34歳
1999 緒方孝市(広島) 93試合 <.305 36本 69打点> 31歳
2009 西岡剛(ロッテ) 88試合 <.260 14本 41打点> 25歳
【7本】
2002 松井稼頭央(西武) 139試合 <.332 36本 87打点> 27歳
2003 松井稼頭央(西武) 128試合 <.305 33本 84打点> 28歳
2003 今岡誠(阪神) 115試合 <.340 12本 72打点> 29歳
2004 仁志敏久(巨人) 137試合 <.289 28本 60打点> 33歳
2010 坂本勇人(巨人) 139試合 <.281 31本 85打点> 22歳
2010 片岡治大(西武) 135試合 <.295 13本 54打点> 27歳
☆山田哲人(ヤクルト) 6本 121試合 <.320 24本 77打点> 22歳
強力打線の先陣を切る“超攻撃型1番バッター”として、山田は今年大きな飛躍を遂げている。月間40安打を2度記録するなど、すべての月で試合数を上回る安打を放ち、今月7日には古田敦也が持っていた球団の右打者最多安打記録を更新してみせた。
そんな山田の前に新たに出現した目標がシーズン先頭打者本塁打の記録である。ヤクルトの1番打者といえば青木宣親がいて、2001年の優勝時には真中満、1992年~1997年の6年間で4度優勝に輝いた黄金期には飯田哲也がいた。しかし、先頭打者本塁打の球団記録を持っているのは彼らではない。
デーブ・ヒルトン。ヤクルトが球団創設初優勝に輝いた時の核弾頭である。1978年に入団テストを経てヤクルト入りすると、いきなり1年目に当時の日本記録であった福本豊に並ぶ8本の先頭打者本塁打を放った。その後、2007年に巨人の高橋由伸がシーズン先頭打者本塁打9本の新記録を達成するが、右打者では1999年の緒方孝市と並ぶ最多記録として今なお名前が残っている。
いわゆる1番らしい1番ではなく、打って出るタイプの攻撃型1番バッターだったヒルトン。さらには右打ちでポジションはセカンド。不思議なことに現在のヤクルトの1番バッターと重なる。
ヒルトンは1978年に打率.317、出塁率は.381を記録。また近年打者の能力を計る指標として浸透しているOPS(出塁率と長打率を足した数値)は.890をマークしている。今シーズンの1番バッターと比較してみると、阪神の上本博紀が山田を除いた12球団の中で最も高いOPS.780。それでもヒルトンとは1割以上も開いている。
しかし、山田はここまで打率.320、出塁率.402でOPSは.929と、全てにおいてヒルトンの数字を上回っている。OPSに関してはチームメイトのバレンティン、西武・中村剛也に次いで12球団で3番目に優れた成績であり、1番を打ちながら主砲に匹敵するような数値を叩き出しているのだ。
時代やチーム状況の違いがあり単純に比較できるものではないが、まだプロ4年目の22歳にして、かつてチームを優勝へと導いた核弾頭を上回る活躍を見せる山田は、今やヤクルトの希望となっている。
9月に入ってから打率.197と調子を落とし、今季初のスランプに苦しむ山田と重なるように、チームも今月はチーム打率.232と低迷。最下位ながら他球団を脅かした強力打線の勢いは影を潜めている。状態が悪い時こそ、チームの先陣を切る山田にかかる期待は大きい。今月は山田に安打が出た試合は5勝2敗、そのうち第1打席で安打を放った場合は3勝を挙げているのに対し、無安打に終わった試合は1勝6敗1分と負け越している。また、山田が先頭打者本塁打を放った試合は5勝1敗で現在5連勝中だ。
チームの命運を握る“超攻撃型1番バッター”として。不振からの脱却を果たし、残り14試合でヒルトンが持つ先頭打者本塁打の球団記録更新は、下位に低迷するヤクルトにおいて、数少ない楽しみの一つなのである。
歴代シーズン先頭打者本塁打ランキング
※(試合=1番としての出場数、<>内はその年の打率、本塁打、打点)【9本】
2007 高橋由伸(巨人) 115試合 <.308 35本 88打点> 32歳
【8本】
1972 福本豊(阪急) 114試合 <.301 14本 40打点> 25歳
1978 ヒルトン(ヤクルト) 85試合 <.317 19本 76打点> 28歳
1986 石毛宏典(西武) 111試合 <.329 27本 89打点> 30歳
1999 緒方孝市(広島) 93試合 <.305 36本 69打点> 31歳
2009 西岡剛(ロッテ) 88試合 <.260 14本 41打点> 25歳
【7本】
2002 松井稼頭央(西武) 139試合 <.332 36本 87打点> 27歳
2003 松井稼頭央(西武) 128試合 <.305 33本 84打点> 28歳
2003 今岡誠(阪神) 115試合 <.340 12本 72打点> 29歳
2004 仁志敏久(巨人) 137試合 <.289 28本 60打点> 33歳
2010 坂本勇人(巨人) 139試合 <.281 31本 85打点> 22歳
2010 片岡治大(西武) 135試合 <.295 13本 54打点> 27歳
☆山田哲人(ヤクルト) 6本 121試合 <.320 24本 77打点> 22歳