数年前、160キロはこの男の代名詞だった。
まだ162キロ右腕の大谷翔平がプロ入りする前、2010年に当時日本人最速の161キロを記録。プロ3年目のそのシーズン、由規は12勝を挙げローテに定着すると、翌11年にはオールスターファン投票のセリーグ先発投手部門で2位前田健太(広島)に7万票以上の大差をつけトップ選出。21歳の由規はヤクルトのみならず日本の次代のエースとして野球ファンの期待を一身に受けていた。
あれから4年。2015年3月22日、イースタンリーグの巨人対ヤクルト戦。ジャイアンツ球場で開催されたデーゲームには背番号11のレプリカユニフォームを身に纏ったヤクルトファンが多数駆け付けた。ヤクルトの先発投手として由規の名前がコールされると1塁側の巨人ファンからも送られる拍手。よく戻ってきたな、そんな拍手と声援だった。
鮮烈なデビューから一転、ここ数年は故障との戦いの日々。11年9月に右肩腱板損傷で戦線離脱。12年には右肩痛に加え左すね剥離骨折で1軍登板なし。13年4月には再び右肩のクリーニング手術を行いシーズンを通してリハビリに費やした。仕事をしたくてもできないもどかしさ。思い通りに動かない右腕。普通ならば最も体が元気なはずの20代前半の若者には、重すぎる現実だ。
高校時代は仙台育英のエースとして甲子園で155キロを計測。中田翔(日本ハム)や唐川侑己(ロッテ)とBIG3と称され、07年ドラフトで5球団が競合した剛腕。あの頃、間違いなく同世代のトップを走っていた由規だが、故障で戦列を離れている数年の間に、同学年の菅野智之(巨人)や野村祐輔(広島)が台頭し、年下の大谷翔平(日本ハム)や藤浪晋太郎(阪神)も鮮烈デビューを飾った。
皮肉にも由規の名前を聞くのは、大谷の最速記録が更新されるニュースの中。ちきしょう怪我さえなければ俺だって…。長いリハビリ生活を経て、昨年6月14日のイースタンチャレンジマッチで792日ぶりの復帰登板。迎える今シーズン、公式戦では11年9月3日巨人戦(神宮)以来となる1軍復帰登板を目指している。
春が近い週末のジャイアンツ球場。25歳になった由規は、巨人2軍の若手選手たちを相手に変化球中心の組み立てで的を絞らせず、4回1失点でマウンドを降りた。唸るような速球で押しまくっていたあの頃とは違う、新スタイルの背番号11。それでも、由規は由規だった。巨人ドラフト1位の大型内野手、18歳の岡本和真を打席に迎えた4球目。外角高めの直球はこの日最速の150キロを計測。かろうじてバットに当ててファールで逃げる岡本にどよめくスタンド。その1球で球場の雰囲気を変えてしまう剛腕。戻るべき神宮のマウンドはすぐそこだ。
帰り際、京王よみうりランド駅のホームでヤクルトファンの男性が嬉しそうにこう言っていた。
「このオフは色々補強したけどさ、最大の補強はやっぱり由規の復活だな」と。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)