アマチュアエリート街道を歩んできた和製大砲
開幕3連敗の後、怒涛の7連勝で巻き返した中日。右ヒジ痛に苦しんできたエース・吉見一起が復活勝利をあげ、大野雄大が完封勝利。早くも「投手王国復活!」の声すら聞こえてくる。
そんな投手陣を援護するべく現れた待望の和製大砲が、ファーストの福田永将だ。ファーストといえば、昔から外国人選手かベテラン選手の指定席。それが20代の日本人、しかも右利きの選手が守っている。
横浜市立鴨志田中学校時代は、名門硬式クラブ・緑中央シニア(現・横浜青葉シニア)に所属。1年夏からベンチ入りすると、3年までずっと主軸。試合では「ピッチャーの球が止まって見える」という感覚を味わっていたそうだ。4番・キャッチャーとして出場した3年春の全国大会では、打率7割で優勝に貢献し、MVP受賞。その後に行われた春の関東大会では、3試合で6本塁打。夏に行われた中学硬式日本一決定戦・ジャイアンツカップでも長打を連発し、チームを優勝へと導いた。
全国から逸材が集まる名門校でも、1年春からベンチ入り。夏には2学年上のエース・涌井秀章(現・ロッテ)とバッテリーを組み、甲子園ベスト8。主将となった3年時は、春の甲子園優勝。夏も甲子園出場を果たすが、初戦で2年生スラッガー・中田翔(現・日本ハム)を擁する大阪桐蔭高校に敗れている。ちなみに、福田が過ごした時代の横浜高校は、2学年上に涌井、石川雄洋(現・DeNA)、同学年に下水流、佐藤賢治(現・日本ハム)、1学年下に高浜卓也(現・ロッテ)、2学年下に倉本寿彦、土屋健二(ともに現・DeNA)らがいた、まさに超高校級のチームであった。
高校通算49本塁打、強肩強打のキャッチャーとして評価され、2006年秋の高校生ドラフトで中日が3巡目(実質2番目)指名。念願だった「高校からプロ入り」を果たした。なお、1巡目指名の堂上直倫(名古屋北シニア→愛工大名電高)とは、中学時代から意識し合う仲だったという。
打撃で生きていく決意――キャッチャーからファーストへ!
中学、高校と、1年生からレギュラーを務めてきた福田だが、プロの世界は厳しかった。1年目、2年目は一軍での出場機会なし。しかも、1年目のオフには、ファーストへのコンバート指示。野球を始めた小学校1年生から慣れ親しんだポジションを離れることになった。未練はあったというが、打撃を生かすことを決意した。
そして、迎えたプロ9年目となる今季。オープン戦17試合で打率.483、打点13、4本塁打。いずれもチームトップの数字を残し、文句なしの開幕1軍を手にした。
開幕2戦目の今季初打席は、代打で空振り三振。翌日の3戦目も7回に代打起用されると、レフトに豪快な3ランを叩き込み、中日ファンを熱狂させた。開幕3連敗後の巨人3連戦は、初戦からファーストで先発出場。4打数3安打1本塁打の大活躍で、チームの連敗阻止に貢献した。森野将彦の負傷というアクシデントもあったが、以後、ファーストを守り続け豪快にバットを振り抜いている。
現在、中日ベンチから福田には「迷わずいけ!」と声がかかるという。8年間、迷いに迷ってきた逸材には何よりの言葉だろう。かつて、福田の中途半端なバッティングに我慢ならず、試合中に叱り飛ばしたという谷繁元信兼任監督は、「日々成長している。もっともっとレベルを上げていってほしい」と期待を寄せる。
振り返ってみれば、中学、高校、プロ、すべてで日本一になる選手はなかなかいない。迷いを払拭した豪快な一打で、プロでも日本一をつかみ取ってほしい。福田永将の華麗なる野球人生・プロ編のスタートは2015年だったと、後々言われるように。
文=平田美穂(ひらた・みほ)