賛否両論あった左腕の守護神転向
今シーズン、松井裕樹(楽天)が抑えで結果を残している。6月14日時点で16セーブ。時折、制球を乱して走者を出すときもあるが、持ち前の勝負度胸でピンチを切り抜けている。高校時代に甲子園で1試合22奪三振を記録したことから高い期待を背負ってのプロ入りではあったが、高卒2年目、誕生日は10月のため、まだ19歳という若さということを考えれば、驚異的な活躍と言えるだろう。
では、1990年代において、今の松井に近い状況で活躍した投手はどんな顔ぶれが並ぶのだろうか? 高卒2年目に活躍した面々をチェックした。
1年目から最多勝の松坂は超例外的存在
今年、ソフトバンクで国内復帰を果たしたが、一軍で登板する姿はまだ見られず……。当時の快投が復活することを願うばかりだ。
続いて第2位は平井正史(オリックス)だ。衝撃的だったのは、プロ初登板が9回裏ノーアウト満塁でのリリーフだったことだ(1994年9月10日対近鉄戦)。その試合は、1死後に犠飛を打たれてサヨナラ負けとなったが、19歳の高卒ルーキーがこんなしびれる場面に出てきて、いきなり150キロ級の速球を披露するデビューは衝撃的だった。2年目は抑えで15勝5敗27セーブと、さらに活躍した。
石井一の日本シリーズ先発は高卒新人3人目の快挙!
第3位は、プロで長く活躍した石井一久(ヤクルト)とした。1992年の日本シリーズ第3戦で、19歳のルーキーながら先発登板したことが今も語りぐさになっている。高卒ルーキーが日本シリーズに登板したのは史上4人目だった。
この年のセ・リーグのペナントレースは、ヤクルト、阪神、広島、巨人の「四つ巴」となり、ヤクルトは優勝したものの、終盤は投手陣が崩壊状態だった。そのため、超ベテランの新浦壽夫をはじめ、中継ぎ要因の金沢次男や小坂勝仁、故障から4年ぶりに復活した荒木大輔などがローテーションの谷間を埋めた。
そのような状況下で、石井もシーズン終盤に5度先発を経験。日本シリーズを前にして、岡林洋一とともに投手陣を支えた西村龍次が故障離脱するさらなる緊急事態となり、シリーズで先発するに至ったのである。
この試合では、ルーキーらしからぬ速球とマウンド度胸で、当時最強と言われた西武打線を3回まで零封。4回に捕まって降板したが、のちの活躍を予見させるものはあった。
続いて第4位は、吉武真太郎(ダイエー)を取り上げたい。1993年にドラフト4位で入団した吉武は、1年目こそ一軍登板はなかったが、2年目の1995年に開幕ローテーション入り。4月6日のロッテ戦でプロ初登板の先発マウンドに立ち、6回途中まで2失点と好投した。その後は、下柳剛、木村恵二、シグペンとリリーフ陣が完璧な投球で7対2で逃げ切り、19歳でプロ初勝利。この年、5勝を挙げるなど、90年代のダイエーで主力投手として活躍した。
最後は第5位として、現在、ソフトバンクで活躍している元メジャーリーガーの五十嵐亮太(ヤクルト)を挙げたい。ヤクルトでスタートしたプロ1年目は一軍未出場に終わったが、2年目の1999年4月に一軍に昇格。リリーフで登板するようになると、20歳の誕生日前日だった5月27日にプロ初勝利を挙げた。この年は36試合に登板して6勝4敗1セーブと成績的には上々だったが、当時は荒々しさ全開の全力投球で、投げてみないとストライクが入るかわからないことが多く、ファンをハラハラさせた。今となっては良き思い出である。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)