コラム

走者を賑わしても三振を奪ってしのぐ!? 1990年代「自作自演型」投手ランキング

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ドジャース時代の野茂英雄[Getty Images]
野茂英雄,

奪三振も与四球も多い藤浪晋太郎 1990年代にもこのタイプの投手は存在した


 9月3日の阪神対広島戦で、先発した藤浪晋太郎(阪神)が7回を投げて1失点にまとめてハーラーダービートップとなる12勝目を挙げた。この試合の藤浪は、12奪三振ながら与四球も9と多く、自ら走者を出してはそれを抑えるという展開だったが、今シーズンはずっとそのような傾向が続いている。開幕からの奪三振184と与四球67は、ともにセ・リーグ1位だ(9月6日現在)。

 このような、タイプの投手はどの時代にも必ずいるもので、1990年代にも確かに存在していた。そんな奪三振と与四球の多い「自作自演」系の投手をランキングで紹介していこう。


相手チームから喝采を浴びたことも!? 元祖「劇場型」投手として球場を沸かせた石毛


 まず、第3位として挙げるのが、巨人や近鉄で活躍した石毛博史だ。特に巨人時代は150キロ前後の速球を軸とする投球で1993年には30セーブを記録し、最優秀救援投手に輝いている。当時の長嶋茂雄監督は橋本清を8回に、そして、この石毛を9回に起用するパターンを多用し「勝利の方程式」と名づけた。この呼名はマスコミにも大きく取り上げられ、現在でも定番のセットアッパーからクローザーへのリレーで試合を締めたときなどに使われるほどに根付いた。

 ただ、石毛の場合、メンタルの弱さを露呈することが度々あった。元々荒れ球タイプだったこともあって、調子が悪くてストライクが入らないと、心の動揺に拍車がかかって四球を連発したり、苦し紛れに投げたボールを痛打されて救援に失敗することも多かった。そのため、一時はリリーフとして石毛の名前がアナウンスされると、相手チームの応援団がむしろ拍手喝采で大喜びし、ジャイアンツサイドのスタンドからもどよめきが起こるという現象に発展。石毛が先頭打者に四球を出そうものなら、テンションはさらにヒートアップし、球場が異様な空気に昇華したことすらあった。

 しかし、元々持っているボールは素晴らしいものがあり、速球以外にもスライダー、フォークを駆使して、自分で走者を出して周囲をヒヤヒヤさせながらも、結局は試合を締めた。現在も時折「劇場型」という言われ方をする投手がいるが、その定義付けにおいて、石毛の存在は大いに関わっているといえるだろう。


左打者が恐怖に震えた石井一久の荒れ球 野茂は四球の多さもレジェンド級だった


 続いて第2位は石井一久(ヤクルト)を選んだ。石井はメジャーリーグでプレー後、日本に帰国してからの晩年はかなりまとまりのある投球をするようになったが、20代だった1990年代は投げたボールの行方は「ボールに聞いてください」という感じの荒れ球タイプだった。この荒れっぷりに恐怖感を抱いたいたのが、当時のセ・リーグの左の中心打者たちである。立浪和義(中日)などは、「打席に立っていると、あのスピードボールが背中の方から迫ってくるため、いつ頭に来るかと思うと、腰が引けて踏み込めなかった」と語るほどの恐怖感があった。

 また、弱点としては立ち上がりにいつも難があったため、序盤は四球を連発しすぎてあっさり自滅することも。走者を賑わせながらも要所を乗り切って調子を上げてくると、後半は奪三振ショーと化する試合も多く、勝っても負けても四球と三振が常に多い投手だった。

 そして、栄えある「自作自演」投手第1位は、野茂英雄に捧げたい。背中を打者に向けて投げるトルネード投法からの速球とフォークボールで世界へ羽ばたいたレジェンドは、近鉄時代から三振をバッタバッタ奪うシーンが多かったが、諸刃の剣として与四球も多い投手だった。

 このバランスがどちらにいくかが野茂の調子を占うひとつのバロメーターとなっていて、ボール気味の球を相手打者が振りに行くと空振りとなって三振が増え、見極められると四球が増えるという展開になった。その最たる例が、1994年の西武戦で記録した1試合16与四球という日本記録を打ち立てたときだったが、この試合でなんと、野茂は完投して勝利投手になっている。

 野茂のピッチングを語るうえで、ぜひ覚えておいて欲しいレジェンド級のエピソードである。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)
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