野球人気は低迷したのか…
野球人気の低下が囁かれて久しい。
かつては地上波での中継が当たり前だったテレビ界でも、今ではBSやCS波がほとんど。「ドル箱」と言われた巨人戦の中継料も、1試合1億円の時代は去り、いまや半額にも満たないと言われている。
しかし、一方では日本ハムの札幌移転や楽天球団の誕生などで全国にフランチャイズが拡散。さらに四国にアイランドリーグ、北陸や関東甲信越を中心にBCリーグなど、セ・パ12球団を補完するチームが野球活性化の一翼を担っている。
少子化やサッカーをはじめとする他のプロスポーツの影響もあり、野球一辺倒の図式は後退したが、裾野は着実に広がっているのだ。
球史を揺るがす大事件
この野球人気を巡っては、10年ほど前にファンまで巻き込んだ大騒動が起こった。2004年に表面化したオリックスと近鉄の合併(近鉄球団の消滅)に端を発する球界再編問題だ。
当時の背景を簡単になぞっておく。近鉄の場合は親会社の経営不振が球団の売却につながったものだが、他のパリーグ各球団も観客動員でセに大きく水をあけられ、球団としての経営は赤字続きで苦しかった。
そこで、オリックスと近鉄の合併となれば5球団となる。両リーグの均衡を欠くうえに、この際に1リーグになれば人気の巨人や阪神戦でひと儲けも期待できる。
事実、当時の巨人オーナーである渡辺恒雄氏が「パ・リーグが4球団になれば、(セリーグへの)移籍も視野に入れる」と発言。これに歩調を合わせるかのように西武の総帥・堤義明氏も報道陣を前にして「西武、ロッテ、日本ハム、ダイエー(後のソフトバンク)で新たな合併を模索している」と球界再編を隠そうとはしなかった。
ペナントレースの興味もどこかに吹き飛びそうな話であるが、経営陣にとって決定的な過ちがあった。すでに野球は日本国民に根ざした文化であり、一部の思惑だけでは動かせないということだ。
さらに、彼らにとって「使用人」と思ってきた選手たちによる生活をかけた反撃。その中心に「戦う選手会長」古田敦也がいた。
ファンと球界を繋ぎとめた「古田の涙」
日本プロ野球選手会は、選手の待遇改善などを経営者側と対等に話し合う事を目的に設立された労働組合の性格を持つ。球団の消滅や縮小となれば死活問題である。したがって、当初から合併反対と新規球団を含めた従来通りの2リーグ12球団維持を求めてきた。
こうした流れにも関わらず、オリックスと近鉄の合併が決定するに及んで選手会は同年8月にストライキ権を確立。すでに空いた1球団を巡ってホリエモンこと堀江社長が率いるライブドア社が球団経営に名乗りを上げていたが、これも経営側は拒否した。
9月に入るとさらに流れは加速する。この中でロッテとダイエーの「第2の合併」話が進められてきたものの、ダイエー側の拒否で頓挫したことで1リーグ10チーム構想は崩壊。選手会と経営者側との団体交渉も行われてきたが不調に終わり、同月18、19日に選手会は史上初のストライキ決行を決めた。
ペナントレースの最中でも、この問題に忙殺された古田選手会長の決断は重かった。前日の記者会見やテレビ出演を通して今後の球界のあり方を語る古田の目には涙があった。
だが、この涙がファンの感情を揺さぶり後押しとなる。それから数日後の団交で経営者側がついに折れ、2リーグ制維持が確認。11月のオーナー会議では、楽天球団の新規参入も決まった。
サッカー界はJリーグ誕生以降、フランチャイズを全国各地に広げた。メジャーリーグでも新球団誕生を含めた拡大路線を敷いている。オラが街にチームが生まれれば、活性化と同時にビジネスチャンスも出来る。今や常識の事が、10年ほど前の日本球界では真逆の動きが画策されていたのだ。
一時はどうなることかと思われた球界再編問題もなんとか収束したが、後遺症を指摘する向きもある。戦う選手会長だった古田の監督就任話が毎年のように出ては消えてしまうのだ。
楽天、ソフトバンク、DeNAなどの候補には上がるものの、実現しない背景には経営陣らの「古田アレルギー」が今でも残っているから、と言う説もある。日本一の頭脳派捕手で球界を救った男。いつまでもネット裏生活では寂しい。
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)