日本野球界の永久欠番は16人
80年以上の歴史で、たった16人だ。
現在のプロ野球界で、永久欠番は延べ16。球団別に見ると巨人6、阪神3、広島2、中日2、西武1、日本ハム1、楽天1。選手としての永久欠番は、30年近く前に引退した衣笠祥雄(広島)の3番が最後だ。
平成の球界では球団預かりの準永久欠番がほとんどで、あの24勝0敗を記録した田中将大の18番も、ヤンキース移籍の際に「ふさわしい投手があらわれるまで」と準欠番扱い。最近は期待の新人選手や主力選手にチーム伝統の番号を引き継ぐケースも増えた。
球団別最多の6人の欠番選手がいる巨人では、沢村栄治、黒沢俊夫、川上哲治、金田正一、長嶋茂雄、王貞治と昭和のレジェンドクラスのみ。ONのあとに4番打者としてチームを支えた原辰徳の8番も、アメリカで引退した松井秀喜の55番も正式な永久欠番にはなっていない。
平成初の巨人永久欠番候補と言えば、阿部慎之助の「背番号10」だろう。実働15年で通算1813安打、361本塁打を記録した球団史上最強キャッチャー。この10番は、巨人でも歴代の強打者たちが背負った伝統の番号である。
1976年、前年最下位に沈んだチームを救ったのが、10番をつけた張本勲。移籍初年度に打率.355、2年目は.348のハイアベレージを残し、長嶋巨人の連覇に貢献した。
1986年には、移籍してきた阪急黄金時代の強打者・加藤秀司が10番を背負い、88年からは駒田徳広が継承。駒田は恐怖の7番打者として89年の日本シリーズでMVPに輝く大活躍を見せた。
驚いたことに、巨人の10番を身につけた3名の打者は、最終的に2000本安打を達成して名球会入りを果たしている。阿部も通算2000本安打まで残り187本。歴代10番で4人目となる快挙達成の暁には、球団では王貞治以来となる永久欠番が現実味を帯びてくるはずだ。
欠番か、継承か…? ひとつの理想型として挙げられるのがヤクルトの「背番号1」だろう。
若松勉、池山隆寛、岩村明憲、青木宣親とチームを代表する選手がつけ、2016年からは山田哲人の番号となる。15年シーズンにトリプルスリーを達成し、チーム野手最高額となる2億2000万円でサインした年末の契約更改では、現シアトル・マリナーズの青木が背番号1のユニフォームを持って会見場にサプライズ登場し、背番号1の継承式が行われた。
40年以上に渡り、球団の顔となる看板プレイヤーが背負い続ける栄光の背番号1。平成の世に山田が活躍することで、昭和の小さな大打者・若松の偉業も語り継がれる。背番号の継承とは、同時に時代の継承でもあるのだ。
※金額は推定
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)