芸人真っ青の爆笑プロ野球選手!
正月番組のひとつ、『夢対決! とんねるずのスポーツ王は俺だ!』(テレビ朝日系)の人気企画「リアル野球BAN」。野球盤と化した球場で、ピッチングマシンとバッターが対決。石橋貴明率いる「石橋JAPAN」と日本代表選手4名が、ガチンコ勝負(もちろん、ハンデあり)をくり広げる。
今回の放送で話題をさらったのが、日本ハムの内野手・杉谷拳士である。帝京高校OBということで「石橋JAPAN」に加入。日本代表の一員で1学年上の先輩・中田翔(日本ハム)をタメ口で挑発するなど、大いに存在感を示した。その芸と話術(?)は今年も健在。関西人の中田をして「あいつ、芸人やんか」と言わしめた。
杉谷は1991年2月生まれ、もうすぐ25歳。1990年生まれと同級生ということになる。東京都出身で、父親は日本チャンピオンだったこともある元プロボクサー。「拳士」という名前には、そんな父親からの愛情が込められている。
中学時代は、硬式クラブ「東練馬リトルシニア」に所属。チームとして目立った成績は残していないが、あふれる野球センスで注目を集めていた。
中学卒業後は、闘将・前田三夫監督が率いる帝京高校に進学。1学年上には、中村晃(現・ソフトバンク)、大田阿斗里(前DeNA)らがいた。そんななか、1年生にしてショートのレギュラーに抜擢されると、期待に応えて夏の甲子園出場に貢献。高校野球史に残る壮絶な打撃戦となった準々決勝、智弁和歌山高校との試合にも、スタメン出場を果たしている。
猛追を受けた9回裏、5番手としてマウンドに上がった杉谷は、死球を与えて即交代。直後に逆転サヨナラ負けを喫したため、1球で敗戦投手になるという珍記録の持ち主となった。甲子園にはその後、2年春、2年夏と3季連続出場。2年夏は「がばい旋風」で初優勝を果たす佐賀北高校に、準々決勝で延長13回サヨナラ負け。杉谷にとって、これが甲子園最終戦となった。
主将となった2年秋、都大会で敗退すると、前田監督にスイッチヒッターへの挑戦を直訴。この裏には、先輩・中村からの「上でやりたいなら左打ちに挑戦したほうがいい」というアドバイスがあった。持って生まれたセンスに努力を重ね、3年春から左打ちデビュー。6月の試合では、すべて左打席でサイクルヒット達成。場外に飛ばしたホームランには、プロのスカウトも驚いたという。最後の夏は、都大会4回戦敗退。自分の代で甲子園出場を果たすことはできなかったが、春以降、左打席で出場した14試合で5本塁打、うち4本が場外。遠投110メートルの強肩を生かした内野守備、50メートル走5秒9の俊足を生かした走塁に、左でも長打が打てるというアピールを加え、高校野球を終えた。
レギュラー奪取、そして、お立ち台へ……!
2008年秋のドラフトでは、日本ハムが6位で指名。高校卒の同期入団には、土屋健二(横浜高→4位)、中島卓也(福岡工業高→5位)がいた。
体重が7キロ落ちたという1年目は、二軍で72試合出場、打率.269。2年目は104試合出場、打率.313と急成長。リーグ最多の133安打を放ってみせた。3年目の2011年に一軍初出場。50試合出場、打率.185と打撃では結果を残せなかったが、打点7、盗塁7でアピールした。4年目の2012年6月には、待望のプロ初本塁打。着実にプロのレベルへの対応を見せてきた。
しかし、同期入団の中島、後輩の西川遥輝らが内野の定位置を確保するなか、レギュラーに定着できず。外野に挑戦するなど出場機会を得ようとしてきたが、ここまで出場試合数が100を超えたことがない。
課題は打撃。1割台から2割台前半の打率では、レギュラー確保は厳しい。そんななか、昨年は規定打席未到達ながら打率.295。左右別にみれば、左が打率.300、右が打率.288。本塁打1は、左打席から放ったもの。光明は見えている。
今季からは、背番号61から2に変更。日本ハムの背番号2といえば、小笠原道大(2015年で引退)らが背負ってきた栄光の番号である。杉谷は球団HPに「背番号は軽くなりましたけど、今まで付けてきた歴代の重みをしっかり受け止めて、今までにないアグレッシブな2番像を作れるように頑張っていきます」とコメントを発表。年末には、2016年シーズンの目標を「3割」と宣言した。セカンド・田中賢介、センター・陽岱鋼らとのレギュラー争いは厳しいが、「球団からの期待を感じるし、強い気持ちでレギュラーを取りにいくだけです」とキッパリ。年末年始も休みなしで練習に励んできた。
人を喜ばせること、笑わせることが大好きだという杉谷。得意のトークを披露するには、本職の野球で、お立ち台に呼ばれる活躍が必要だ。まずは、レギュラー確保。そのうえで、ファンを楽しませる爆笑インタビューが何度も聞けることを期待したい。
文=平田美穂(ひらた・みほ)