大魔神が愛した“名女房”
「やっぱり谷繁がいいな。俺の球は、谷繁にしか捕れないと思うよ」。
当時シアトル・マリナーズの絶対的守護神として活躍していた佐々木主浩氏が、アメリカのとあるレストランで漏らした一言だ。
佐々木氏が当時バッテリーを組んでいたウイルソン捕手もメジャー屈指の捕手だったが、「本当に安心してフォークボールを投げれるのは、多分谷繁だけだと思うよ」と、横浜時代の女房役・谷繁元信を絶賛。2001年には、佐々木氏自らマリナーズに谷繁の獲得を進言していたというエピソードもあるほど、絶大な信頼を寄せていた。
その一方で、「今の谷繁があるのは佐々木氏のフォークがあったから」という声も多い。
フォークボールを捕球するために地獄の猛練習を行い、レギュラーの座を確保した話は有名だが、落差の激しい佐々木氏のフォークボールは並大抵の努力では対応できず、当時の谷繁の体はあざだらけだったという。
佐々木氏に信頼されるようになった谷繁は、その後メキメキと頭角を現し、1998年にはチーム38年ぶりとなる日本一にも貢献。その年の最優秀バッテリー賞を佐々木氏と共に獲得した。
監督専念の今季こそ、竜の再建に燃える
そんな谷繁の性格は、根っからの負けず嫌い。本塁打を打たれた投手よりも、打たれた瞬間の谷繁を狙っているカメラマンもいたほど、感情をあらわにする選手だった。
監督に就任してからも、その一面は垣間見ることができる。
昨年5月のDeNA戦では、球審に抗議してプロ人生初の退場処分。だが、この屈辱をバットで返すのが谷繁らしさ。翌々日の阪神戦、選手として出場した谷繁は27年連続となる本塁打を放ち、自身の持つプロ野球記録を更新してみせた。
昨年限りで現役生活にピリオドを打ち、今年度からは監督に専念することが決まっている。
選手兼監督という立場も監督業に多少は影響があったかもしれない。監督就任後は2年連続でBクラス。就任前も含めた3年連続Bクラスは、球団にとって45年ぶりという屈辱だった。
しかし、谷繁は絶対にこのままでは終わらない。負けるのが誰よりも嫌いな男は、あの佐々木のフォークを捕球したときのように燃えている。
2016年、セ・リーグで台風の目になるのは中日だ。