キャンプに5万人!?やっぱりミスターはすごかった
伝説とも言っていいだろう。過去最高に盛り上がったキャンプがあった。
2000年の巨人・春季キャンプ。5万5000人ものファンが、宮崎総合運動公園に集結した。お目当ては…そう、永久欠番の背番号「3」だった。
この年FAで加入した江藤智が「33」を付けることになり、長嶋茂雄の背中には26年ぶりに「3」の文字が刻まれることになった。
“お披露目”となるXデーを目当てに、多くの報道陣やファンがキャンプインから集結。宮崎総合運動公園はものすごいフィーバーぶり。
しかし、世間の期待を裏切るように、長嶋監督はなかなかジャンバーを脱がない。少しでもジャンバーに手をかけようものなら、ものすごい数のフラッシュがたかれ、テレビカメラの波が押し寄せる。それを見た長嶋監督は「ニヤリ」と笑って、ジャンバーから手を離す。まるで子供がいたずらをするかのような長嶋監督の表情。連日のように「今日もだめか」とため息が漏れた。
「絵になる男」は、その「絵」をキャンプ前から考えていた。どの構図で、何時、どんなシチュエーションで…。現役時代から“魅せる”ことを常に意識してきた長嶋監督だからこそ、最高の「絵」が思い浮かんだのだろう。
迎えたキャンプインから12日目。ついにその日が来た。監督が描いた「絵」は、3番と33番のコントラスト。背番号33番の江藤に、3番を背負った長嶋監督がノックをする。3と33が一直線上に結ばれる。スーパースターはそんな構図を思い描いていたのだ。
「これほど話題になるとは思っていなかった。だんだん脱ぎづらくなって…」と誤魔化したが、26年ぶりの背番号3がようやく復活した。
ファンの大歓声を受けながら、放ったノックはなんと223球。背中が後押ししたのか、最後まで「生きた」球を打ち続けた。時間にして約40分。5万5000人のファンが酔いしれ、背番号3の復活を見届けた。
この年のシーズン。長嶋監督率いる巨人はセリーグ優勝を決め、世紀の“ON対決”となった日本シリーズをも制した。20世紀最後のキャンプそしてプロ野球界を盛り上げたのは長嶋監督だった。