この夏、高校野球はいつの年にもまして大きな盛り上がりを見せた。「高校野球100年」のメモリアルイヤーに16歳の新怪物・清宮幸太郎の出現。その開幕戦に登場したのは王貞治だった。王もまた半世紀以上前の甲子園球児であり、1年生から早稲田実業のエースとして「聖地」を我が庭としている。始球式で投じたボールは外角低めに見事にコントロールされたスローカーブだった。
この100年の間、プロとアマの関係は決して良好なものではなかった。プロ側の協定破りなどが主たる因だが、近年は相互の努力と歩み寄りでその垣根は徐々に低くなっている。とは言え、甲子園の始球式にプロ出身者が登場するのは初のこと。経歴、人格などを含めて王は最適な人材だった。
昭和という時代そのものが懐かしさと共に語られる昨今だが、その昭和の真っただ中にプロ野球界は真の国民的人気を得る。長嶋茂雄と王貞治。伝説のONコンビの誕生と二人が牽引した「V9巨人」の偉業にファンは狂喜乱舞した。
勝負強い打撃と華麗な守備と走塁であっという間にスーパースターの道を駆け上がった長嶋と圧倒的なパワーで本塁打を量産した王。セリーグの打撃タイトルはほぼ二人だけが独占する状態が続いた。ファンの間では当然のことながら「N派」と「O派」が存在したが、この二人の間にライバルとしての火花は散っても関係は決して悪くなかった。両輪がいがみ合えば9連覇などは出来なかっただろう。両雄は並び立ったのだ。
かつて王はこう語った。「僕が入団した時に長嶋さんはすでにスーパースター。こちらは最初の数年は“王は王でも三振王”と言われていたからね。ライバルなんて思ったこともない」これに対して長嶋も「自分は典型的な中距離打者で外野の間を抜けて行く打球が特徴。ワンちゃんは天性のホームランバッターだから持ち味が全く違った」と振りかえっている。
打撃そのものも長嶋はフォームを崩されようが、狙いが外れようが感覚で仕留めるのに対して、王は師匠の荒川博と共に作り上げた「一本足打法」から寸分の狂いもなくアーチをかけていく。理詰めの打法だった。「動」と「静」。「陽気」と「温厚」プレーぶりも性格も対照的だったが共通点もある。王が荒川道場で一心不乱に日本刀を振り続けて打撃の真髄を極めたことはよく知られているが、長嶋もまた、常にバットを離さず、真夜中に起き出すと突如素振りを始めたのも有名な逸話だ。ONが練習の虫なら、他のナインも汗を流さないわけにはいかない。さらに、当時の監督・川上哲治はあえて、長嶋を「叱られ役」として怒声を浴びせた。チームリーダーを叱ることでチームに緊張感をもたらす老獪な掌握術だった。
ONの人気を語る時にプレーだけでなく、その人間性にも触れておきたい。昔から宿命のライバル関係にある阪神とはファンの間でも舌戦が繰り広げられてきたが、この二人だけは別格。「巨人は嫌いやけどONだけは別や」という虎党も多かった。敵をも魅了する人柄の良さがあった。
彼らの出現は球場を満員にし、テレビ中継を定着させ、新聞の売り上げまで貢献した。どんな時にもいやな顔せずに取材に応じたのも野球人気を広げていくという使命を自覚していたからだろう。
ON砲誕生の少し前、長嶋は南海(現ソフトバンクホークス)と入団契約を交わす寸前だった。王は阪神への入団を夢見た。もし両雄の進路がそのままだったら野球界はどんな「景色」となっていただろう?ちょっと想像するだけで楽しい。(敬称略)
文=荒川和夫(あらかわ・かずお)