コラム

80年の歴史と伝統…巨人軍で受け継がれる「地獄のキャンプ」

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「地獄のキャンプ」は巨人の伝統!?

有名な「地獄の伊東キャンプ」


 巨人のキャンプといえば、「宮崎」のイメージ。最近では沖縄にも進出しているが、巨人のキャンプで一番有名なものは、実は宮崎ではない。

 1979年、昭和54年の秋。この年、シーズン5位と低迷した長嶋巨人。第1次政権5年目は、2年連続でリーグ優勝を逃した。

 若手選手をいかに育てるか…。それが長嶋監督のテーマだった。

 その次の年、1980年には世界の王が現役を引退。主力の高齢化が目立ち始めたこともあり、「このままではいけない。巨人は強くなければいけない」と強い危機感を感じていた指揮官は若手選手を18人集め、当時は珍しかった「秋季キャンプ」を敢行した。それが、伝説の「伊東キャンプ」のはじまりである。

 今でも“伝説”や“地獄”と言われるのには理由がある。投手では江川卓、西本聖ら6人、野手では中畑清、篠塚利夫ら12人が参加。後の巨人を支えるメンバーが集結した。「技術より、まずは精神力」と指揮官。とにかく徹底的に走り込んだ。

 もっとも有名な地名は「馬場平」。1周800メートルのクロスカントリーで、デコボコ道。ゴール前は傾斜30度の坂道。これを毎日10周。しかも、タイムトライアル。大げさではなく、血反吐を吐くような猛練習だった。

 昨年の秋、巨人は高橋由伸新監督が就任。伝説の伊東キャンプさながらの地獄キャンプを敢行している。

 門限の設定、休日のゴルフ禁止など、朝から晩まで野球漬けの毎日。球場のスタンドを利用した階段走や、ポールトゥポールのタイムレース、持久走など...。中でも特に厳しかったのが、80メートル走10本を3セット。インターバルを15秒に設定し、計2400メートル。倒れる選手が続出した。


“地獄のキャンプ”は80年前からあった!?


 もっと古い話もある。伝統の巨人軍が、その礎を築いたキャンプが分福キャンプだ。

 1936年、昭和11年の9月。まだプロ野球が誕生して間もないころ、巨人は藤本監督の指導の下、選手20人が猛特訓を行った。

 場所は群馬県の館林市にある分福球場。別名・茂林寺球場とも言われたグラウンドで、伝説の「1000本ノック」が行われた。これが第一期・巨人黄金時代の基礎を造ったとされている。

 こうして振り返ってみても、“強い巨人”は何度かの「地獄キャンプ」で出来上がったというのがよく分かる。走り込んで精神力を鍛えるなど、昔かたぎで古くさいという向きもあるが、それがメンタルトレーニングにもなるし、下半身強化につながることに何の疑問もない。

 「巨人軍は紳士たれ」――。野球の技術が向上すればいい、ということではない。メンタルも鍛え、私生活でも一流の社会人になるようにという戒めだ。

 伝統の“地獄キャンプ”を敢行した今季の由伸巨人には、大いに期待したい。
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