西武の黄金時代
昭和30年代、黄金時代を築いていたのが西武の前身である西鉄。当時は大投手・稲尾和久がチームを牽引し、「神様、仏様、稲尾様」なる言葉も生まれた。
伝説の“キャチコピー”が生まれたのが、1958年の巨人との日本シリーズ。西鉄は3連敗を喫して万事休すと思われたが、そこから稲尾の4連投・4連勝で逆転日本一。今では考えられないが、めちゃくちゃ強かった。
ただし、西武の黄金時代となると、森祇晶監督が就任した1986年から1994年の9年間だったのではないか。
この9年間で8度のリーグ優勝。日本一は6度。1度だけ逃したリーグ優勝も、近鉄、オリックスとのデッドヒートに敗れた1989年だけ。それも優勝した近鉄とは0.5ゲーム差という、圧倒的な強さだった。
とにかく打線が豪華だったこの頃の西武。1番の辻にはじまり、2番に平野謙、3番が秋山幸二、4番・清原和博、5番・デストラーデ、6番・石毛宏典、7番・安部理、8番・伊東勤、9番・田辺徳雄。この9人が主な打順だった。
さらに投手陣もすごかった。工藤公康、渡辺久信、渡辺智男、潮崎哲也、郭泰源、新谷博、鹿取義隆と先発、中継ぎ、抑えがしっかりしていた。
守備でも辻、平野、秋山、石毛、伊東らがゴールドグラブを獲得するなど、名手揃い。走っても辻、平野、秋山は俊足。とくに秋山は、あるシーズンで40本塁打を放つパワーを発揮しながら、またあるシーズンでは50盗塁を記録するなど、三拍子そろったプレーヤーだった。
当時の名選手たちが続々と指揮官に
多くの名選手を輩出してきたチームであるが、注目すべきは後に監督になる人数の多さだ。西武黄金時代の選手たちは、プロ野球の監督になることが多い。
秋山は2年前までソフトバンクで監督を務め、現在のソフトバンクの監督が工藤。伊東は西武の監督を務めた後、現在はロッテで指揮を執る。さらに渡辺久、東尾、伊原は元西武監督で、現監督は田辺。楽天の初代監督を務めたのは田尾で、前監督は大久保博元だった。ほかにも元オリックス監督の石毛や、元ダイエー監督の田淵などが挙げられる。
西武の前身はクラウンライターで、その前が太平洋クラブ。その前までが西鉄だった。
終盤の西鉄は、最悪だった。1969年10月、いわゆる「黒い霧事件」が勃発。永易将之の八百長行為が発覚し、永久追放処分になった。
さらにこれをきっかけに、翌年には池永正明ら6選手が八百長に加担したことを暴露され、同じく永久追放(※1)。その後は東尾、加藤初らの投手陣が踏ん張ったものの、チームは3年連続で最下位に低迷。観客動員も激減し、球団経営も悪化。その結果、1972年のシーズン終了後、西鉄はついに身売りすることになる。
そして西武ライオンズが誕生し、40年近くが経過。幾多の名選手を輩出し、西武は強くなった。
常勝西武――。もう1度あの輝きを……ファンは待ち望んでいる。
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※1 2005年に日本野球機構(NPB)は池永正明氏に対する永久失格処分を解除。
(一部内容に誤りがございましたので、訂正を行いました。誠に申し訳ございません。)