14年は大活躍も、15年は…
長い年月の弛まぬ努力で積み重ねてきた物が、一瞬で崩れ去ることもある。スポーツの世界において、それは決して珍しくない事象だ。野球に限らず、多くのスポーツ選手達が、その憂き目に遭遇し、スポットライトの下から姿を消していった。オリックスの“絶対的エース”金子千尋も、戦い続ける日々のなかで、そうした恐怖と向き合っているのかもしれない。
14年、金子は間違いなく球界の中心にいた。その年16勝(5敗)をマークして最多勝と最優秀防御率(1.98)のタイトルを獲得し、投手最高の栄誉である沢村賞を受賞、パリーグの最優秀選手にも輝いた。プロ10年目にして辿り着いた、まさに“頂き”。しかし、その年の11月末に踏み切った右肘の手術が、15シーズンの彼を狂わせた。
リハビリは思い通りに進まず、金子の初登板は5月23日まで延びる。大型補強を敢行したはずのチームも、エース不在の穴を埋めきれずに苦しいシーズンを送っていた。誰もがエースの帰還がこの窮地を救ってくれると信じて止まなかったが、初登板したロッテ戦は3回6失点、プロ入り後自身最短タイ記録でKO。ほろ苦い記憶となった。6月2日には成績不振により森脇浩司監督の休養が発表され、エースの肩にのしかかる重圧たるや、尋常ではなかっただろう。
負の連鎖は続く。9月には右肩を負傷。手術した右肘を無意識にカバーするあまりに招いた故障だった。そこにはきっと、冷静ではいられない感情の揺れ動きが起因していたのだろう。エースとしての自負、チームへの貢献――。その舞台に上がることを許された者のみが味わうことの出来る苦しみだったに違いない。金子の2015年は、そうした目に見えない何かと戦うことを義務付けられた1年だったのだろう。
16年、宮崎・清武キャンプで精力的に汗を流す金子の姿がある。ブルペンでの投球後、「良くなかった」と自身の仕上がりに不満を述べる場面もあったが、「これからどう改善していくかが大事」と、完全復活に向けて着実な歩みを進めている。苦難を乗り越え、さらに輝きを増した金子千尋の投球に酔いしれたい。金子なら、周囲のそうした期待に必ずや応えてくれるはずだ。