マーくんのシーズン24勝を21年続けても及ばない...
メジャーには、とてつもない記録が多くある。
中でも通算511勝という記録は、驚きを通り越して、ただ絶句するだけだ……。
日本では、金田正一氏の400勝というのが最高。これもとてつもない記録であるのだが、それを100勝以上もオーバーしたのが、サイ・ヤングだ。
日本の投手最高の栄誉といえば、「沢村賞」であるが、メジャーでは「サイ・ヤング賞」。そう、そのサイ・ヤングである。
「通算511勝」――。これはどれだけすごい数字なのか。
現ヤンキースの田中将大が、楽天時代の2013年に24勝0敗という大記録を打ち立てた。ここ数年、日本では20勝投手がほとんど出ていなかった中、24勝というのは立派だ。
これを20年連続で続けると、480勝になる。21年続ければ、504勝。これでも「511」には追いつかない。
そもそも20年現役で投げ続けることができる投手はほとんどおらず、それもローテーション投手でないといけないのだから、ほとんど無理なことだろう。
日本ハムの大谷翔平投手は昨季、入団3年目で初めて15勝に到達。これを30年続けても450勝にしかならない。
「511」というのがとんでもない記録なのかがわかってもらえたと思う。
毎日投げるのが当たり前の時代で...
では、なぜこんな大記録が生まれたのか。理由はいろいろあるが、一番は、現在と昔の投手陣のシステムがまったく違ったということだろう。
現在は先発、中継ぎ、抑えという投手の役割が確立していて、先発は中5日ないし6日が当たり前になっている。
しかし、サイ・ヤングが活躍した1900年ごろというのは、ローテーションなどなかった。先発投手は1チームに2、3人だけ。中1日や2日が当たり前だった。
1年間の先発登板は40試合以上、投球回は400イニングを越える。そんなことが当たり前の時代だった。だからこそ、毎年30勝以上を記録する投手が何人も登場したのだ。
サイ・ヤングも年間30勝を5度も達成。それでも、1893年には34勝しながら最多勝のタイトルを取れなかった。とにかく投手はほぼ毎日、投げるのが当たり前の時代だった。
一昔前の甲子園に似ていると思えば想像できるだろうが、甲子園はわずか3週間。プロは1年間。当時の投手のスタミナには脱帽するしかないだろう。
サイ・ヤングの特長はまさに、「打たせて取る」だった。奪三振数を見ると、通算で2803個。511勝もしながら、かなり少ない数字だ。メジャー通算1位のノーラン・ライアンは5714個。同2位のランディ・ジョンソンは4275個。彼らには遠く及ばない。
だが、三振を取るには少なくとも3球は必要で、それが打たせて取れば1球で仕留めることができる。いかにサイ・ヤングが省エネ投球で、スタミナを温存しながら勝利を積み上げていったのかがわかるだろう。
1955年に88歳で病死。その翌年、当時のコミッショナーの発案により、サイ・ヤングの功績をたたえるべく生まれたのが、シーズン最優秀投手を表彰する「サイ・ヤング賞」だった。あのベーブ・ルースが最も尊敬する選手と慕うほど、人望も厚かった。
1890年から1911年までの実働22年間、ほとんど常に主力投手として君臨していた。
日本では、現ソフトバンクの工藤公康が実働29年。これが日本記録になっている。それでも、通算224勝でしかない。これも立派な記録だが、サイ・ヤングの半分にも満たないのだ。
今後も破られることはまずあり得ない、不滅の大記録。「511勝」――。あらためてサイ・ヤングに敬意を表したい。