コラム

西武に脈々と受け継がれる『高卒、右のスラッガー』育成の系譜

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通算6度の本塁打王のタイトルを獲得している西武の中村剛也

トリプルスリーを達成した秋山幸二


 田邉徳雄監督の下、2008年以来の日本一を目指す西武。その西武は79年の球団創設以降、高卒の右打者を二軍で鍛え上げ、チームの主軸を担うタイトルホルダーへと育成し続けている。

 その源流となるのは80年にドラフト外で入団した秋山幸二だ。八代高時代は投手だった秋山だったが、プロ入りと同時にその高い身体能力を見込まれて野手へ転向。2年目にはイースタンリーグの本塁打王を獲得する。

 その後はアメリカ野球留学を経験し、本場の野球を吸収していく。そして4年目の84年には「7番・サード」で開幕スタメンに抜擢され出場機会を増やすと、翌85年には40本塁打を放ち一気にブレイクする。以降、常勝西武不動の3番バッターとして活躍。走攻守三拍子揃ったプレーで87年には本塁打王、89年にはトリプルスリー。翌90年には51盗塁で盗塁王と「メジャーに一番近い男」と呼ばれた。中でも86年日本シリーズで見せた「バック宙ホームイン」は今でも語り継がれている。

松井稼頭央の後、ショートに抜擢された中島


 秋山同様、無名の存在から球団の主軸にまで成長した選手と言えば、中島裕之が挙げられる。兵庫の公立校・伊丹北高で投手だった中島は、その打力が西武の目に留まり00年にドラフト5位で入団する。

 中島もプロ入りと同時に野手へ転向し約2年間、二軍で技術向上に努めた。プロ3年目の03年には一軍で44試合に出場すると、その年のオフには背番号56から、かつて清原和博がつけた背番号3を引き継ぐこととなる。

 さらに松井稼頭央がメッツへ移籍し、そのショートの後釜として中島が抜擢される。04年、開幕からショートの定位置をつかんだ中島は、全試合出場を果たし打率.287、27本塁打、90打点と周囲の予想を上回る活躍を見せた。

 06年からは3番打者に定着し08年、09年と2年連続で最高出塁率、09年に最多安打のタイトルを獲得。13年からのアメリカでのプレーを経て、昨年からオリックスでプレーしている。

現役最多6度の本塁打王を獲得している中村


 その中島の1年後に入団したのが中村剛也だった。大阪桐蔭高時代は高校通算83本塁打を放ったスラッガーとして名を馳せ、01年にドラフト2位で西武へ入団。プロ4年目の05年には交流戦で12本塁打をマークし、そのキャラクターから「おかわり君」と呼ばれ一躍脚光を浴びる。

 その後一時低迷するも08年に46本塁打で初の本塁打王を獲得。チームの日本一に大きく貢献する。チームの4番打者として打線を引っ張り、昨年まで本塁打王6回、打点王3回と球界を代表するホームランバッターとして君臨している。

 中でも統一球が導入された11年、他の選手がボールに苦しむ中、48本塁打とその存在感を見せた。

13年打点王の浅村


 中村にとっては高校の後輩となる浅村栄斗は、この系譜に名を連ねる。高校3年夏に1番打者として全国制覇に貢献した浅村は、08年ドラフト3位で入団。プロ3年目の11年には主にファーストを守り137試合に出場しレギュラーに定着する。

 そして、13年には中村剛也が戦線離脱する中で途中から4番に座り、持ち味であるフルスイングで長打を連発。終わってみればキャリアハイの数字を残し110打点で打点王を獲得した。現在は主に3番を打ち、中村とともに打線の中核を担っている。

 浅村に続く存在となるのは長打力のあるプロ5年目の駒月仁人か、ルーキーの大瀧愛斗となるのか。西武に脈々と受け継がれていく「高卒、右打者のスラッガー」の新しい存在が楽しみだ。
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