いざ、リベンジへ!
開幕から順調に勝ち星を重ね、6月中旬には優勝へのマジックナンバーの史上最速点灯に注目が集まっていたソフトバンク。
ところが、夏場以降は日本ハムの驚異的な追い上げに遭い、熾烈な競り合いの末にパ・リーグ3連覇を逃してしまった。
大目標を失ったことによる“燃え尽き”も心配されたが、1stステージではロッテを相手に2連勝。2試合連続で先頭弾を浴びて先制を許しながら、接戦をモノにしてきた。
無駄なく2試合で決め、掴んだ札幌行のチケット。やられたらやり返す――。リベンジをかけて北の大地へと乗り込む。
「柳田の離脱」の影響とは...
さまざまなメディアが“歴史的V逸”の要因をあらゆる点から探って指摘していたが、そのなかのひとつに「柳田悠岐の離脱」がある。
昨季トリプルスリーを達成した柳田は、開幕から徹底的にマークされた。それでも5月に打率.346をマークすると、6月も.330と調子を上げ、7月には一度.260と落ちたものの、8月に入ると.347と柳田らしさが戻ってきた。
ところが、9月1日の西武戦で右手薬指を骨折。翌2日に一軍登録を抹消されてしまう。
9月1日終了時点でのソフトバンクの成績は、71勝44敗5分の勝率.617。最終的な成績が83勝54敗6分のため、柳田離脱時の勝敗は12勝10敗1分となる。勝敗を見れば、柳田の離脱は大きかったと言えるだろう。
しかし、得点力という点ではまた違った数字が出てくる。
柳田がラインアップに名を連ねた120試合の合計得点は530得点。1試合の平均得点は4.42となる。一方で、柳田が離脱していた23試合の合計得点は107得点。1試合の平均得点は4.65と柳田がいたときよりも数字が多くなるのだ。
1試合の平均得点という点では、柳田の離脱はあまり影響しなかったと言える。
埋めるべき穴は「3番」だけではなかった
ただし、さらに細かく見ていくと、柳田離脱の影響が浮かび上がってくる。
今年のソフトバンクは昨シーズンと同様、打線の中軸はほぼ固定。その他の打順は日替わりで起用することが多い。それが今年は李大浩の離脱などもあって昨年ほど機能しなかった。
そんな課題を打開策すべく、工藤監督は8月14日のロッテ戦から、出塁率の高い中村晃を「1番」で起用した。その試合から柳田が離脱するまでの15試合で挙げた合計得点は81得点。1試合平均は5.4得点で、柳田が離脱していた時期よりも多くなる。
この15試合、中村晃の成績は61打数18安打で打率.295とそれほど高いわけではないが、1打席も出塁できなかったという試合は8月18日の西武戦が唯一。柳田の前に中村がよく出塁していたのである。
柳田が離脱した9月2日以降も中村晃は「1番」で起用されたが、柳田の代わりに「3番」に入った江川智晃は、同9日のオリックス戦までの7試合で25打数3安打、打率.120と結果を残せず。そのため、10日の西武戦から中村晃が「3番」にまわり、「1番」が日替わりでの起用に戻った。
中村晃は10月2日の最終戦まで「3番」として出場。58打数20安打の打率.345とよく打ち、全試合で最低1回は出塁。「3番」としての役目を十二分に果たしている。
しかし、今度は日替わりとなった「1番」が低迷。9月10日から最終戦までの通算成績は65打数16安打、打率.246と落ち込み、16試合のうち一度も出塁できなかった試合は5試合もあった。
つまり、柳田の代わりに「3番」を打った江川が結果を残せず、中村晃の代わりに「1番」に入った選手たちも結果を残せなかったのである。1番・中村晃、3番・柳田で打線がうまく回り始めたところで柳田が離脱し、「1番」か「3番」に穴ができてしまったのだ。
このクライマックスシリーズから柳田が復帰を果たしたことで、1番・中村晃と3番・柳田の流れも復活。これで本来の形が戻ったと言えよう。
柳田がほぼぶっつけになるだけに状態は気がかりであるが、いるだけで相手に与えるプレッシャーは違ってくる。当たりを取り戻した時にはリベンジへの原動力となることだろう。
“復帰”したのは柳田だけにあらず。ソフトバンクの「1番」と「3番」に注目だ。
文=京都純典(みやこ・すみのり)