合格者平均4.5人の狭き門
11月10日~13日の4日間にわたって、野球日本代表・侍ジャパンはメキシコ代表、オランダ代表と強化試合を行った。トップチームの精鋭たちが大歓声を浴びる陰で、崖っぷちに立たされた選手たちが自らの野球人生をかけた勝負に挑んでいた。
11月12日に行われた12球団合同トライアウトには65人の選手が参加。ドラフト1位でプロ入りした選手たちが名を連ねるほか、新垣渚(前ヤクルト)、井手正太郎(前DeNA)、内村賢介(前DeNA)、長田秀一郎(前DeNA)、加藤健(前巨人)、後藤光尊(前楽天)、原拓也(前オリックス)ら、一軍での実績も十分な選手たちも多く、プロの厳しさをあらためて感じさせた。
2001年からはじまった同制度で、過去、再びプロとしての契約を勝ち取ったのは平均すると1年当たりわずか4.5人。0人という年もあり、まさに狭き門だ。ただ、その崖っぷちから這い上がり、再びスポットライトを浴びた選手がいるのも事実。その代表格が、今季限りでユニフォームを脱いだ森岡良介(ヤクルト)だ。
最高の形でプロ人生を終えた森岡
森岡は高校野球の名門・明徳義塾高出身。主将として臨んだ3年夏の甲子園では明徳義塾高の甲子園初優勝に貢献した。立浪和義(元中日)の後継者として大きな期待を背負い、2002年ドラフト1位で中日に入団。しかし、ファームでは好成績を残しても、一軍での出場機会に恵まれず、6年間でわずか39試合の出場に終わり、2008年オフに戦力外通告を受けた。
森岡はその年のトライアウトを経てヤクルトに入団。すると、翌2009年以降、内野ならどこでも守れる器用さが買われ、出場機会が徐々に増加。規定打席に到達することはなかったものの、2012年~2014年は3シーズン連続で100試合以上の出場を果たし、チームに欠かせない存在となった。
さらに、生え抜きではないにもかかわらず、2014年からは選手会長に就任。2015年、チームがリーグ優勝を果たすと、神宮球場でのビールかけでは選手会長として乾杯のあいさつを担当。この年のヤクルトはベンチの“明るさ”が強さの要因のひとつとして取り上げられたが、そのベンチを盛り上げてきたムードメーカーの森岡らしく、この場でも球場全体の笑いを誘った。
今季、出場26試合で打率.065に終わり引退を表明した森岡。9月28日の本拠地最終戦で最後の打席に立つと、試合後にはファンの森岡コールが響き渡るなかでチームメートから胴上げもされた。引退試合やセレモニーをすることもなく球界を去る選手が大半というなか、なんと幸せなプロ人生の締めくくりだろうか。
トライアウトという狭き門から這い上がり、そしてチームに欠かせぬ存在となる。それだけでも難しいことなのに、森岡はプロ野球選手として最高の舞台を用意され現役生活に別れを告げることができた。その森岡は、ヤクルトの一軍野手コーチ補佐を務めるという。
今回の65人のなかから、第2の森岡のような選手が現れることに期待したい。
文=清家茂樹(せいけ・しげき)