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再び最下位転落も…若手が台頭し始めたブラウン監督時代 -楽天の10年を振り返る (3)-

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退場の宣告をされた楽天・ブラウン監督が、橋本球審に対して退場のポーズ=2010年7月2日、対日本ハム戦(Kスタ宮城) © KYODO NEWS IMAGES
 楽天がチーム創設10年目となった14年シーズンを最下位で終えた。

 前年のリーグ制覇&日本一からの転落劇であったが、これまで3位以外すべての順位を経験し、濃密な10シーズンを送ってきた。ここでは過去4監督の時代に別けながら、楽天の球団史を辿る。

 今回は3代目監督のマーティ・ブラウン編。

 野村克也氏の後任は、2006年から09年まで広島を率いたブラウンだった。だが、広島の4年間で一度もAクラス入りを果たせなかった新指揮官の就任に、周囲からは懐疑的な声も多く挙がった。

 開幕投手は3年連続となる岩隈久志だったが、対戦相手だったオリックスの金子千尋との投手戦に屈し0-1で敗戦。続く田中将大、永井怜でも勝利を掴めず、開幕から4連敗スタートとなった。3月28日の西武戦で、田中が10回完投と奮闘しブラウン政権に初勝利をもたらしたが、その後も黒星先行の苦しい戦いぶりで、一度も勝率5割に復帰することなく4月を終えた。

 ようやく交流戦に入り調子を上げ、6月6日の巨人戦に勝利し借金を1まで減らすも、結局これがピーク。交流戦は13勝10敗1分と勝ち越すも、この年は上位6位までをパ・リーグ勢が独占したため、他チームとの差を詰めることができなかった。その後は再び黒星先行の戦いぶりを強いられ、62勝79敗3分の成績で、再びリーグ最下位に沈んだ。

 投手陣では、先発三本柱が再び揃って2ケタ勝利をクリアするも、岩隈(13勝→10勝)、田中(15勝→11勝)、永井(13勝→10勝)と、それぞれが前年の勝ち星を下回った。

 攻撃陣でも、前年から素行の悪さが問題視されていたドット・リンデンや、ブラウン監督とともに広島から移ってきたアンディ・フィリップスが揃って精彩を欠き、得点が前年の598から576に減少。野村政権時の助っ人と明暗が分かれた。

 だが、若手選手の台頭などポジティブな要素もあった。故障から復帰した大卒5年目の青山浩二が、中盤戦以降は中継ぎで41試合に投げ防御率1.72をマーク。高卒5年目の片山博視は53試合の登板で1.88の防御率をマークし、抑えの小山伸一郎とともに「スリーマウンテンズ」と呼ばれ、勝ちパターンを確立した。

 野手でも、4年目の嶋基宏が初めて規定打席をクリアし打率.315をマーク。さらにゴールデングラブとベストナインをW受賞し、名実ともに正捕手の座を確立した。さらにBCリーグ初のプロ野球選手となった163センチの内村賢介も、111試合に出場し打率.304を記録。大卒3年目の聖沢諒は初の規定打席到達で打率.290、チームトップの24盗塁をマークするなど、低迷するチームの中で若い力が輝きを放った。

 ブラウン監督はグラウンドでも、広島時代から見せてきた極端な守備シフトや過度な抗議で度々話題を集めたが、前述のチーム成績の悪化に加え、観客数の落ち込みもあり、1年限りでのチームを去ることとなった。

【チームデータ】
●チーム成績
2010年:6位(62勝79敗3分)
●主要個人タイトル
2010年:なし
●球場名
2010年:クリネックススタジアム宮城(略称:Kスタ宮城)
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