中日の和田一浩が11日、プロ野球史上45人目となる通算2000本安打を達成した。
2000本安打まで残り2本として迎えた敵地でのロッテ戦、「6番・指名打者」で先発出場した和田は、初回に先制の2点適時打をマーク。王手をかけると、2回に回ってきた第2打席でもレフト線への安打を放ち、あっさりと節目の記録をクリアした。
42歳と11カ月での達成は、史上最年長という快挙のおまけ付き。決して順風満帆でなかった野球人生で、ひとつの金字塔を打ち立てた球界屈指のスラッガーは、「まさかこの数字に到達できるとはプロに入ったころは思っていなかったので、よくここまでこれたと思っています」と喜びを語った。
大学、社会人を経てプロ入りした選手の2000本安打というのは、古田敦也、宮本慎也に次いで3人目の快挙。それも、和田がレギュラーの座を獲得したのは、プロ6年目を迎える30歳というスロースタートだった。
神戸製鋼から96年ドラフト4位で西武に入団。「打って走れる捕手」を目指すと宣言し、プロの門を叩いたものの、チームには伊東勤と中嶋聡という絶対的な扇の要が2人もいた。
そんな中、その非凡な打力を見出された和田は、徐々に指名打者や外野手としての出場を増やしていく。転機となったのは02年、伊原春樹監督の下で外野のレギュラーの座を掴むと、その年は115試合に出場。初めて規定打席に到達し、打率.319を記録した。
レギュラーを掴んだ年は30歳、それまでに積み重ねた安打は289本。本人も会見で述べたとおり、この段階ではまさか和田が将来2000本安打に達するとは誰もが思っていなかったことであろう。
プロ野球選手の平均引退年齢が29歳であると言われる中、30歳のシーズンからレギュラーを獲得した男は、そこから12年連続で100安打以上を記録。
安定感だけでなく、33歳を迎えた05年には打率.322に153安打で首位打者と最多安打を獲得し、中日移籍後の10年には38歳にしてキャリアハイの打率.339、年間171安打を記録するなど、逆に年を重ねるごとに成長を見せ、気がつけば大記録に手の届く場所にまで来ていた。
しかし、ここでも新たな危機を迎えた。順調に数字を伸ばしてきた和田だったが、2000本安打まで残り15本にまで迫ったところでアクシデントが襲う。昨年8月6日の広島戦、第3打席で死球を受け、右手首を骨折。和田の2014年シーズンはその日をもって終了した。
大記録目前での負傷離脱に、もう戻ってこれないのではないかという不安の声も上がったが、今年で43歳を迎える男はケガを乗り越えて這い上がってきた。
「遠回りしたからこそ今がある」と語った和田。チームを率いる谷繁元信がそれまで持っていた2000本安打の最年長記録は、42歳と4カ月。昨年ケガなくそのまま戦えていたら、この記録は破れることはできていなかっただろう。
入団直後に打ちのめされた高すぎる壁と、選手生命をも脅かしたケガ――。奇しくも2つの大きな苦境とそれを乗り越えるための「遠回り」が、和田に“史上最年長2000安打達成者”という称号を授けたのだ。
それでも、「まだ現役が終わったわけじゃない。数字は終わってから振り返りたい」と気を引き締めた和田。この試合でも2000本安打を達成した直後の第3打席で通算2001本目の安打を記録し、はっきりと“通過点”であることを示した。
円熟の境地に達した打撃技術で、43歳を迎えようという現在でも打線の中軸を担う竜の打撃職人。2000本はゴールじゃない…和田一浩の“これから”の挑戦にも要注目だ。
2000本安打まで残り2本として迎えた敵地でのロッテ戦、「6番・指名打者」で先発出場した和田は、初回に先制の2点適時打をマーク。王手をかけると、2回に回ってきた第2打席でもレフト線への安打を放ち、あっさりと節目の記録をクリアした。
42歳と11カ月での達成は、史上最年長という快挙のおまけ付き。決して順風満帆でなかった野球人生で、ひとつの金字塔を打ち立てた球界屈指のスラッガーは、「まさかこの数字に到達できるとはプロに入ったころは思っていなかったので、よくここまでこれたと思っています」と喜びを語った。
大学、社会人を経てプロ入りした選手の2000本安打というのは、古田敦也、宮本慎也に次いで3人目の快挙。それも、和田がレギュラーの座を獲得したのは、プロ6年目を迎える30歳というスロースタートだった。
神戸製鋼から96年ドラフト4位で西武に入団。「打って走れる捕手」を目指すと宣言し、プロの門を叩いたものの、チームには伊東勤と中嶋聡という絶対的な扇の要が2人もいた。
そんな中、その非凡な打力を見出された和田は、徐々に指名打者や外野手としての出場を増やしていく。転機となったのは02年、伊原春樹監督の下で外野のレギュラーの座を掴むと、その年は115試合に出場。初めて規定打席に到達し、打率.319を記録した。
レギュラーを掴んだ年は30歳、それまでに積み重ねた安打は289本。本人も会見で述べたとおり、この段階ではまさか和田が将来2000本安打に達するとは誰もが思っていなかったことであろう。
プロ野球選手の平均引退年齢が29歳であると言われる中、30歳のシーズンからレギュラーを獲得した男は、そこから12年連続で100安打以上を記録。
安定感だけでなく、33歳を迎えた05年には打率.322に153安打で首位打者と最多安打を獲得し、中日移籍後の10年には38歳にしてキャリアハイの打率.339、年間171安打を記録するなど、逆に年を重ねるごとに成長を見せ、気がつけば大記録に手の届く場所にまで来ていた。
しかし、ここでも新たな危機を迎えた。順調に数字を伸ばしてきた和田だったが、2000本安打まで残り15本にまで迫ったところでアクシデントが襲う。昨年8月6日の広島戦、第3打席で死球を受け、右手首を骨折。和田の2014年シーズンはその日をもって終了した。
大記録目前での負傷離脱に、もう戻ってこれないのではないかという不安の声も上がったが、今年で43歳を迎える男はケガを乗り越えて這い上がってきた。
「遠回りしたからこそ今がある」と語った和田。チームを率いる谷繁元信がそれまで持っていた2000本安打の最年長記録は、42歳と4カ月。昨年ケガなくそのまま戦えていたら、この記録は破れることはできていなかっただろう。
入団直後に打ちのめされた高すぎる壁と、選手生命をも脅かしたケガ――。奇しくも2つの大きな苦境とそれを乗り越えるための「遠回り」が、和田に“史上最年長2000安打達成者”という称号を授けたのだ。
それでも、「まだ現役が終わったわけじゃない。数字は終わってから振り返りたい」と気を引き締めた和田。この試合でも2000本安打を達成した直後の第3打席で通算2001本目の安打を記録し、はっきりと“通過点”であることを示した。
円熟の境地に達した打撃技術で、43歳を迎えようという現在でも打線の中軸を担う竜の打撃職人。2000本はゴールじゃない…和田一浩の“これから”の挑戦にも要注目だ。