本塁打ランキング2位の松田宣浩、3位の柳田悠岐、レアードが所属するソフトバンクと日本ハムの全日程が終了。37本でリーグトップ・中村剛也(西武)の6度目の本塁打王がほぼ確実となった。
これは王貞治氏の15回、野村克也氏の9回に次ぐ歴代3番目の記録となる。三冠王3度の落合博満と中西太が5度、通算536本塁打の山本浩二、01年に55本のアーチを描いたローズが4度といった一時代を築いた選手たちを上回っている。
中村の本塁打王を振り返ると、初めてタイトルを獲得したのが2008年。それまでは、本塁打は多いが三振も目立ち、一軍に定着できていなかった。だがこの年から就任した渡辺久信監督(当時)が我慢強く起用し、リーグワーストの162三振を喫したが46本塁打を記録した。
翌09年は故障で戦列を離れた時期もあったが、前年を上回る48本で2年連続本塁打王。3度目の本塁打王は、統一球が導入された11年と12年。各打者統一球の対応に苦しむ中、中村には全く関係なかった。11年は自己最多タイの48本塁打、12年は129打席連続本塁打なしとスランプに陥ったが、27本塁打でタイトル獲得。
14年は故障で出遅れながらも、同僚のメヒアとともに34本のアーチを描き5度目の本塁打王。今季はシーズン終盤に故障で出場できない時期もあったが、ここまでリーグトップの37本塁打。タイトルを確実なものにしている。
また中村は、故障で離脱するケースが多いため、規定打席に到達すれば必ず本塁打王を獲得している。08年にレギュラー定着して以降、規定打席に到達しなかったシーズンは10年と13年の2度。10年はシーズン中に右肘の遊離軟骨手術を受け、13年は前年に手術した左ひざの十字靭帯と半月板の修復手術、左肩の違和感のため26試合の出場にとどまった。
通算の本塁打王、規定打席に到達した年は全て本塁打王。この2つの記録をどこまで伸ばせるか注目だ。
これは王貞治氏の15回、野村克也氏の9回に次ぐ歴代3番目の記録となる。三冠王3度の落合博満と中西太が5度、通算536本塁打の山本浩二、01年に55本のアーチを描いたローズが4度といった一時代を築いた選手たちを上回っている。
中村の本塁打王を振り返ると、初めてタイトルを獲得したのが2008年。それまでは、本塁打は多いが三振も目立ち、一軍に定着できていなかった。だがこの年から就任した渡辺久信監督(当時)が我慢強く起用し、リーグワーストの162三振を喫したが46本塁打を記録した。
翌09年は故障で戦列を離れた時期もあったが、前年を上回る48本で2年連続本塁打王。3度目の本塁打王は、統一球が導入された11年と12年。各打者統一球の対応に苦しむ中、中村には全く関係なかった。11年は自己最多タイの48本塁打、12年は129打席連続本塁打なしとスランプに陥ったが、27本塁打でタイトル獲得。
14年は故障で出遅れながらも、同僚のメヒアとともに34本のアーチを描き5度目の本塁打王。今季はシーズン終盤に故障で出場できない時期もあったが、ここまでリーグトップの37本塁打。タイトルを確実なものにしている。
また中村は、故障で離脱するケースが多いため、規定打席に到達すれば必ず本塁打王を獲得している。08年にレギュラー定着して以降、規定打席に到達しなかったシーズンは10年と13年の2度。10年はシーズン中に右肘の遊離軟骨手術を受け、13年は前年に手術した左ひざの十字靭帯と半月板の修復手術、左肩の違和感のため26試合の出場にとどまった。
通算の本塁打王、規定打席に到達した年は全て本塁打王。この2つの記録をどこまで伸ばせるか注目だ。