3年連続で60試合登板するなど、巨人のセットアッパーとして活躍したマシソンが今季から先発に転向する。27日に行われたヤクルトとのオープン戦では、予定の5回を投げ、5安打1失点に抑えた。
ただ、長年リリーフを務めてきたマシソンが先発で1年間適応できるかと言われると、現時点では判断しにくい。これまでにリリーフから先発に転向した例を見ると、5年連続開幕投手が内定しているソフトバンクの摂津正は、成功事例だろう。
摂津は09年にプロ入りしてから最初の2年間は、セットアッパーを務め、2年連続最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。優勝した10年は甲藤啓介、ファルケンボーグ、抑えの馬原孝浩ともに勝利の方程式を形成し、「SBM48」と呼ばれるなど他球団も恐れるリリーフ陣の1人だった。
2年連続70試合以上に登板し、リリーフでは欠かせない存在となっていたが、勤続疲労などもあり、入団3年目の11年に先発へ配置転換。先発転向1年目から14勝を挙げると、翌12年には最多勝、最高勝率のタイトルを獲得。さらには、沢村賞を受賞した。13年以降は、故障や不調に陥りながらも15勝、10勝、10勝をマーク。先発転向後は毎年二ケタ勝利記録するなど、今ではソフトバンクのエースに君臨している。
摂津のような成功例もあれば、失敗例もある。長年マシソンと勝利の方程式を担った巨人の山口鉄也と、中日の浅尾拓也の2人がそうだ。山口は原辰徳監督(当時)の意向により10年に、中継ぎから先発に回った。開幕先発ローテーション入りを果たすも、先発初登板となった4月3日の広島戦では4回途中4失点でノックアウト。次の登板で、先発初勝利を挙げるも、その試合を最後に、再びリリーフに回っている。
一方、浅尾は3年目の09年に先発へ転向すると、いきなり開幕投手を任された。開幕戦で8回を1失点に抑え勝利を手にしたが、その後は不安定な登板が続き、シーズン途中からリリーフへと再転向。10年と11年にはセットアッパーとしてリーグ優勝に大きく貢献し、11年にはリーグMVPにも輝いている。
リリーフで結果を残してきたからといって、必ず先発で成功しているとはいえず、向き不向きがあるといえそうだ。マシソンはここまで順調に調整を進めているが、摂津のように成功できるだろうか。
ただ、長年リリーフを務めてきたマシソンが先発で1年間適応できるかと言われると、現時点では判断しにくい。これまでにリリーフから先発に転向した例を見ると、5年連続開幕投手が内定しているソフトバンクの摂津正は、成功事例だろう。
摂津は09年にプロ入りしてから最初の2年間は、セットアッパーを務め、2年連続最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。優勝した10年は甲藤啓介、ファルケンボーグ、抑えの馬原孝浩ともに勝利の方程式を形成し、「SBM48」と呼ばれるなど他球団も恐れるリリーフ陣の1人だった。
2年連続70試合以上に登板し、リリーフでは欠かせない存在となっていたが、勤続疲労などもあり、入団3年目の11年に先発へ配置転換。先発転向1年目から14勝を挙げると、翌12年には最多勝、最高勝率のタイトルを獲得。さらには、沢村賞を受賞した。13年以降は、故障や不調に陥りながらも15勝、10勝、10勝をマーク。先発転向後は毎年二ケタ勝利記録するなど、今ではソフトバンクのエースに君臨している。
摂津のような成功例もあれば、失敗例もある。長年マシソンと勝利の方程式を担った巨人の山口鉄也と、中日の浅尾拓也の2人がそうだ。山口は原辰徳監督(当時)の意向により10年に、中継ぎから先発に回った。開幕先発ローテーション入りを果たすも、先発初登板となった4月3日の広島戦では4回途中4失点でノックアウト。次の登板で、先発初勝利を挙げるも、その試合を最後に、再びリリーフに回っている。
一方、浅尾は3年目の09年に先発へ転向すると、いきなり開幕投手を任された。開幕戦で8回を1失点に抑え勝利を手にしたが、その後は不安定な登板が続き、シーズン途中からリリーフへと再転向。10年と11年にはセットアッパーとしてリーグ優勝に大きく貢献し、11年にはリーグMVPにも輝いている。
リリーフで結果を残してきたからといって、必ず先発で成功しているとはいえず、向き不向きがあるといえそうだ。マシソンはここまで順調に調整を進めているが、摂津のように成功できるだろうか。