普段は笑顔多き男が見せた“鬼”の一面
オリックス・福良淳一監督の怒号が飛んだのは、2月28日の楽天との練習試合中だった。
スタメンで出場していたドラフト3位ルーキーの大城滉二が、4回で実質“4失策”。試合中にも関わらず二軍行きを命じ、隣接するサブグラウンドで行われている二軍戦に出場させるという措置をとった。
普段は温厚で、笑顔の多い福良監督が見せた“鬼”の一面…。ルーキーに対しては異例ともいえる試合中の二軍降格…。福良淳一とは、いったいどんな男なのだろうか。
リーグ連覇、日本一に貢献…オリックスの黄金期を支えた現役時代
延岡工業高校から大分鉄道管理局を経て、1984年のドラフト6位で阪急ブレーブスに入団。ルーキーイヤーは4月の日本ハム戦でプロ初出場を果たすものの、1年目は37試合の出場で、16打数4安打に終わった。
開花したのは2年目だった。オープン戦から好成績を残すと、セカンドのレギュラーの座を獲得。この年は122試合に出場し、打率.309、12本塁打を記録して、一時は新人王争いも繰り広げるなど、飛躍の年となった。
1995年には、現在オリックスの二軍監督を務める田口壮や、現マーリンズのイチローらと共にリーグ優勝を経験。翌年には日本一に貢献するなど、オリックスの黄金期を支えた。
そして、1997年に現役を引退。通算で1240試合に出場、打率.279という成績だった。引退後はオリックスの二軍打撃兼内野守備走塁コーチを務めた後、2000年にはスカウトに転身している。
その後、2005年から日本ハムのコーチに就くと、2007年には二軍監督に就任。2008年からは一軍ヘッドコーチとなり、2009年のリーグ優勝に貢献。2012年のシーズン終了後、日本ハムを退団した。
翌年から一軍ヘッドコーチとして古巣・オリックスに戻ると、昨シーズンは森脇浩司前監督の休養を受け、6月2日の巨人戦から監督代行として指揮を執った。
今シーズンからは“代行”が取れ、正式な監督に就任。阪急出身者としては初の生え抜き監督となった。
誰よりも真摯に野球に向き合う男
日本ハムのヘッドコーチ時代に、こんなエピソードがある。
2008年、当時入団1年目だった中田翔に福良監督の雷が落ちた。守備練習から気の抜けたプレーが目立っていた中田をすれ違いざまに呼び止め、グラウンド上で5分間の“公開説教”。「技術的なことじゃなく、態度や準備の大切さを厳しく言った」と福良監督は話した。
野球を愛しているからこそ、妥協を許さない。今回の大城にしてもそうだった。
決してミスで怒ったのではなく、「その後どうするか。執念を見せるとか、声を出すとか。一生懸命さが伝わってこなかった」。指揮官が「許せなかった」のは、野球に対する姿勢だった。
こういった緩慢な態度には人一倍厳しい福良監督だが、野球に真摯に取り組む選手には手をかけた。
中田の例に戻る。中田が打撃で悩んでいた時、福良監督はマンツーマンで付きっきりの指導。本人が納得するまで、指導を続けたという。
福良淳一という男は、誰よりもアツく、誰よりも野球を愛している男だ。そんな姿に、選手たちはついてくるのだろう。
昨年は5位に沈んだオリックス。20年越しのリーグ優勝、そして日本一へ…温かい中にも厳しさを持ち合わせる福良監督が、強いオリックスをよみがえらせる。