稀代のスラッガーが現役生活にピリオド
3月1日、2000年代を代表するスラッガーが現役生活に幕を下ろした。
ソフトバンクを自由契約となっていた松中信彦が福岡市内で会見を開き、現役引退を発表。通算352本塁打、1168打点…。輝かしい実績を残しながらも、この時期まで声がかからなかった“最後の三冠王”は、ユニフォームを脱ぐ決断を下した。
松中はダイエー時代の2004年に打率.358、44本塁打、120打点で首位打者、本塁打王(1位タイ)、打点王の主要3タイトルを総獲り。1986年に阪神のランディ・バースが達成して以来、18年ぶり7人目の三冠王に輝いた。
自身の19年間のキャリアで首位打者が2回、本塁打王が2回、打点王は3回も獲得。2006年の第1回ワールド・ベースボール・クラシックでは日本の4番として世界一に貢献するなど、近代の最強スラッガーとして名を馳せた男だけに、花道なき幕切れとなってしまったことは残念な限りではあるが、記録にも記憶にも残る強打者であったことは間違いない。
三冠王を逃した選手たち...
これまでの長いプロ野球の歴史において、7人にしか与えられなかった「三冠王」の称号。多くの強打者たちが挑みながらも、タイミングや周りとの兼ね合いもあって届かずに終わっている。
松中は“平成唯一の三冠王”として君臨しているが、この平成となって以降も惜しいところで届かなかった選手が何人もいた。
例えば、現在もメジャーで活躍しているイチローも、オリックス時代の1995年に惜しくも届かずという経験をしている。
稀に見る“投高打低”となったこのシーズン。イチローは打率.342で2年連続の首位打者を獲得すると、最終戦で放った2ランで打点を80に乗せ、トップだった初芝清(ロッテ)に並ぶ。結局、そこに他球場で1打点を加えて80打点に乗せた田中幸雄(日本ハム)も加わり、3人で打点王に輝き、これで二冠。しかし、本塁打は小久保裕紀(ダイエー)に3本及ばず。三冠王には届かなかった。
それでも、この年のイチローは49盗塁で盗塁王も獲得し、179安打で最多安打、出塁率も.432で1位となり、本塁打以外の野手のタイトルを総ナメ。本塁打王だけ届かずに「三冠王」は逃したものの、実際には五冠制覇を成し遂げたというとてつもないシーズンであった。
このほかにもメジャー挑戦前年の松井秀喜や、近年でも2012年の阿部慎之助など、球界を代表する打者たちがもう少しのところまで迫りながら、わずかに届かないという経験をしている。
柳田悠岐(ソフトバンク)や山田哲人(ヤクルト)、筒香嘉智(DeNA)といった新世代のスラッガーたちが台頭してきた中、松中の次に名前を刻む選手は現れるのか。
次に歴史を動かす選手の出現に期待したい。
【三冠王を逃した選手たち】
※平成以降に限る
▼ 1995年 イチロー(オリックス)
打率.342(1位) 本塁打25(3位タイ) 打点80(1位タイ)
→ 本塁打で小久保(ダイエー/28本)に3本及ばず...
※それでも盗塁王(49盗塁)、最多安打(179安打)、最高出塁率(.432)で計五冠を達成。
▼ 2002年 松井秀喜(巨人)
打率.334(2位) 本塁打50(1位) 打点107
→ 打率で福留(中日/.343)に9厘及ばず...
▼ 2003年 アレックス・ラミレス(ヤクルト)
打率.333(2位) 本塁打40(1位タイ) 打点124(1位)
→ 打率で今岡(阪神/.340)に7厘及ばず...
▼ 2012年 阿部慎之助(巨人)
打率.340(1位) 本塁打27(2位) 打点104(1位)
→ 本塁打でバレンティン(ヤクルト/31本)に4本及ばず...