活躍しても次のシーズンにはバックアップ要員
広島からFA宣言をし、西武にテスト入団することになった木村昇吾。異例ともいえる選択をした彼の球歴を改めて振り返ってみる。
木村は2002年のドラフトで横浜ベイスターズから11巡目で指名されて入団。その後4年間は一軍と二軍を往復する選手であった。
転機となったのは、2007年の広島へのトレードだ。前年度10試合だった出場試合数が2008年は94試合と大幅に増加。内野全部とレフトを守れ、代走としても使えるユーティリティプレイヤーとして重用され始めたのだ。
2010年の後半にはケガで戦列を離れた東出輝裕の穴を埋めセカンドで活躍。164打席に立ち、打率.324の成績を残した。2011年にはショートの梵英心の負傷があり、7月からはスタメンで起用される。シーズンを通して自己最多の106試合に出場、349打席に立った(打率は.259)。
ところが、次のシーズンが始まると、木村の扱いはバックアップ要員に戻されてしまう。どうしても真のレギュラーとして認められない。そんな立場でも木村は決して腐ることなく、守備位置まで全力疾走をし、ベンチにいるときも仲間の選手を一番に出迎えていた。
「FAをして後悔した方がいい」という思い
迎えた2015年のオフ。「他のチームの話も聞きたい。チャレンジです。本当に難しい決断だった」というコメントとともに、球団にFA宣言の書類を提出。ここから、木村の苦難が始まる。
宣言してから10日、20日が経過しても、木村には獲得のオファーがなかった。広島は基本的にFA宣言後の残留を認めていない。このままだと木村は路頭に迷ってしまう。
年をまたごうかとする12月25日、木村に春季キャンプで入団テストを実施するとの連絡が届く。パ・リーグの埼玉西武ライオンズからだった。
キャンプが始まり5日目、テスト生として参加していた木村の入団発表が行われた。木村は笑顔で「ゼロからのスタートということで、ありがたいと思っています」と背番号「0」のユニフォームに袖を通した。
所属先が決まった後、木村は以下のように心境を語った。
「FAをしない後悔よりも、FAして後悔した方がいいと思った。テスト生?十分です。チャンスをもらいありがたい。意気に感じます」
FA宣言をしてレギュラーを狙うどころか、「野球人生で一番不安になった」というほどの苦しい地位に置かれた木村。もしオファーがなければ、もうプロ野球ができない可能性もあった。推定年棒も広島時代の4100万円から2000万円と半減している。
今年で36歳となる木村だが、背水の決意で移籍先をつかんだ。今シーズンに賭ける気持ちは新人選手にも負けてはいない。
ドラフト11巡目から這い上がり、プロ13年目を迎える木村の挑戦はどのような結果につながるのだろうか。オープン戦から木村のレギュラー争いに注目していきたい。
文=松本祐貴(まつもと・ゆうき)