アメリカ・ラスベガス。カジノで有名なこの場所にプロ野球チームが存在するのはご存じだろうか。AAAラスベガス・フィフティワンズ。メジャーリーグ・ニューヨークメッツ傘下のAAAチームである。本拠地キャッシュマン・フィールドを少し離れると、そこにはきらびやかなネオンが輝く豪華なカジノ施設が立ち並んでいる。
1919年にポートランド・ビーバーズとして創設した歴史あるチーム。2001年からラスベガス・フィフティワンズと改名し、現在に至る。かつては木田優夫(現日本ハムゼネラルマネジャー補佐)、中村紀洋も在籍し、2011年から2年間は広島・楽天で監督を務めたマーティー・ブラウン監督が指揮を執った。
約2年前、現ソフトバンク松坂大輔が、この場所にいた。2014年、ニューヨークメッツとマイナー契約を結んだ松坂は、メジャー昇格をめざしAAA生活を送っていた。
同年4月にメジャー契約を結び、メッツでは主にリリーフとして起用され、4月20日のブレーブス戦では日米通算2000奪三振の記録も達成している。しかし、7月に右ひじの故障でDL入り。故障から、再度メジャーを目指し、1からのスタートの地となったのが、ラスベガスだった。
メジャー昇格をかけたAAAサクラメント戦。キャッシュマン・フィールドの先発マウンドに立った松坂は、一塁コーチャーズボックスを見て、少し笑顔をのぞかせた。
そう、対戦相手のAAAサクラメントには、松坂同様メジャーを目指す中島裕之の姿があった。当時、試合に出たりでなかったりの状況が続いていた中島は、松坂との対戦も期待されたが、この日は出番なし。終始、一塁コーチを務めた。
この試合をきっかけに、松坂は再びメジャー昇格を果たすも、オフにメッツをFAとなり、ソフトバンクへの入団が決まった。くしくも同年のオフに、中島も日本球界オリックスへ入団。野球で言えば“異国”で戦った2人が、日本に戻ってきた。
松坂・中島。2人にとって今年は大きな勝負の年になる。ネオン輝く街の裏にある、観客もまばらな球場で戦ったあの光景に比べたら、日本プロ野球の1軍スタジアムは「別世界」に見えていることだろう。カジノのネオンのごとく、2人は再び輝きを取り戻してほしい。
1919年にポートランド・ビーバーズとして創設した歴史あるチーム。2001年からラスベガス・フィフティワンズと改名し、現在に至る。かつては木田優夫(現日本ハムゼネラルマネジャー補佐)、中村紀洋も在籍し、2011年から2年間は広島・楽天で監督を務めたマーティー・ブラウン監督が指揮を執った。
約2年前、現ソフトバンク松坂大輔が、この場所にいた。2014年、ニューヨークメッツとマイナー契約を結んだ松坂は、メジャー昇格をめざしAAA生活を送っていた。
同年4月にメジャー契約を結び、メッツでは主にリリーフとして起用され、4月20日のブレーブス戦では日米通算2000奪三振の記録も達成している。しかし、7月に右ひじの故障でDL入り。故障から、再度メジャーを目指し、1からのスタートの地となったのが、ラスベガスだった。
メジャー昇格をかけたAAAサクラメント戦。キャッシュマン・フィールドの先発マウンドに立った松坂は、一塁コーチャーズボックスを見て、少し笑顔をのぞかせた。
そう、対戦相手のAAAサクラメントには、松坂同様メジャーを目指す中島裕之の姿があった。当時、試合に出たりでなかったりの状況が続いていた中島は、松坂との対戦も期待されたが、この日は出番なし。終始、一塁コーチを務めた。
この試合をきっかけに、松坂は再びメジャー昇格を果たすも、オフにメッツをFAとなり、ソフトバンクへの入団が決まった。くしくも同年のオフに、中島も日本球界オリックスへ入団。野球で言えば“異国”で戦った2人が、日本に戻ってきた。
松坂・中島。2人にとって今年は大きな勝負の年になる。ネオン輝く街の裏にある、観客もまばらな球場で戦ったあの光景に比べたら、日本プロ野球の1軍スタジアムは「別世界」に見えていることだろう。カジノのネオンのごとく、2人は再び輝きを取り戻してほしい。