昨季広島でプレーしたザガースキーが、DeNAと契約を結んだ。ザガースキーは昨季、19試合に登板して防御率2.40の好成績を残すも、1年限りで自由契約。広島は外国人枠の争いが激しかったこともあり、一軍に定着することができなかった。
ザガースキーのように、広島でプレーした助っ人たちが他球団に活躍の機会を移すことが多い。ソフトバンクの2年連続日本一に大きく貢献したサファテがそうだ。広島時代は1年目の2011年に35セーブをマークするも、2年目はシーズン途中にセットアッパーに配置転換。その年のオフに自由契約となり、西武と契約を結んだ。西武で1年間プレーした後、14年からソフトバンクへ移籍。
ソフトバンクでは、チームに欠かすことのできない絶対的な守護神に君臨する。移籍1年目の14年に7勝1敗、37セーブ、防御率1.05を記録すると、翌15年はさらに凄みが増した。日本記録となる43イニング奪三振をマークし、セーブ数もパ・リーグ記録を更新する41セーブを挙げた。自身初の最多セーブのタイトルを獲得し、ソフトバンクで大活躍している。
広島で03年から3年間プレーしたデイビーは、目立った働きを見せることができなかったが、移籍したオリックスでは先発ローテーションの一角を担った。1年目の06年に来日後、初めて規定投球回に到達し、二ケタ10勝をマーク。防御率も2.62と抜群の安定感を誇った。2年目は二ケタ勝利に届かなかったものの、8勝を挙げ、防御率3.21を記録した。
一方で、広島から他球団へ移籍し、活躍できなかったケースもある。バリントンは広島時代、球団歴代外国人新記録となる通算40勝を記録したが、オリックスへ移籍した15年は5勝を挙げるも、故障に泣かされ同年限りで退団。13年と14年のクライマックス・シリーズ進出の立役者となったミコライオは、楽天移籍後は故障に泣かされていることもあり、一軍登板がない。
DeNAでプレーすることが決まったザガースキー。サファテのように他球団で花を咲かすことができるだろうか。
ザガースキーのように、広島でプレーした助っ人たちが他球団に活躍の機会を移すことが多い。ソフトバンクの2年連続日本一に大きく貢献したサファテがそうだ。広島時代は1年目の2011年に35セーブをマークするも、2年目はシーズン途中にセットアッパーに配置転換。その年のオフに自由契約となり、西武と契約を結んだ。西武で1年間プレーした後、14年からソフトバンクへ移籍。
ソフトバンクでは、チームに欠かすことのできない絶対的な守護神に君臨する。移籍1年目の14年に7勝1敗、37セーブ、防御率1.05を記録すると、翌15年はさらに凄みが増した。日本記録となる43イニング奪三振をマークし、セーブ数もパ・リーグ記録を更新する41セーブを挙げた。自身初の最多セーブのタイトルを獲得し、ソフトバンクで大活躍している。
広島で03年から3年間プレーしたデイビーは、目立った働きを見せることができなかったが、移籍したオリックスでは先発ローテーションの一角を担った。1年目の06年に来日後、初めて規定投球回に到達し、二ケタ10勝をマーク。防御率も2.62と抜群の安定感を誇った。2年目は二ケタ勝利に届かなかったものの、8勝を挙げ、防御率3.21を記録した。
一方で、広島から他球団へ移籍し、活躍できなかったケースもある。バリントンは広島時代、球団歴代外国人新記録となる通算40勝を記録したが、オリックスへ移籍した15年は5勝を挙げるも、故障に泣かされ同年限りで退団。13年と14年のクライマックス・シリーズ進出の立役者となったミコライオは、楽天移籍後は故障に泣かされていることもあり、一軍登板がない。
DeNAでプレーすることが決まったザガースキー。サファテのように他球団で花を咲かすことができるだろうか。