楽天のエースだった2人
4月17日(日本時間18日)、雨天中止によるスライド登板などがなければ、ヤンキース対マリナーズで田中将大と岩隈久志という日本人投手同士の投げ合いが見られる可能性が高い。メジャーでの日本人投手同士の投げ合いというと、2013年6月25日のヤンキース対レンジャーズでの黒田博樹とダルビッシュ有以来となる。田中にとってはヤンキース入団以降、公式戦で日本人投手と投げ合うのは初めてだ。
田中と岩隈といえば07年から5年間、楽天でチームメイトだった間柄。田中は07年に駒大苫小牧高から鳴り物入りで入団する。一方、近鉄時代の04年に最多勝を獲得した岩隈だったが、05年の楽天初年度はチームの戦力が整わない事情もあって9勝15敗に。翌06年は肩の故障に苦しみわずか1勝に。07年は田中が高卒ルーキーながら11勝をマークする中、5勝に終わり本来の力を発揮できない苦しさでもがいていた。
岩隈が再び強い光を放ったのは08年だった。開幕から勝ち星を重ねていくと、最終的には21勝4敗、防御率1.87、勝率.840と最多勝、最優秀防御率、最高勝率。さらには沢村賞にリーグMVPとタイトルを総ナメに。チームは5位となる中、エースとして孤軍奮闘した。
そして09年、田中と岩隈はともに第2回WBCの日本代表に選出され、世界一連覇に貢献する。レギュラーシーズンでは野村克也監督4年目となったこの年は球団創設以降(当時)最高順位の2位となり、初めてクライマックスシリーズに進出する。前年は9勝と二ケタ勝利に届かなかった田中だったが、チーム最多の15勝を挙げると、岩隈は永井怜とともに13勝と2人そろって活躍しチームの躍進を担った。
翌10年は田中が11勝、岩隈が10勝と前年に続きともに二ケタ勝利を挙げるも、チームは最下位に終わる。この年のオフ、岩隈はポスティングシステムでメジャー移籍を表明。交渉権を得たアスレチックスと交渉を進めたが合意には至らず楽天に残留することとなる。地元・仙台が東日本大震災で被災し、期する思いで臨んだ11年。田中は19勝を挙げるなど最多勝(ソフトバンク・ホールトンと並ぶ)、最優秀防御率、最高勝率、沢村賞とタイトルを独占し更なる進化を遂げた。6勝に終わった岩隈はFA権を行使しマリナーズへ移籍。2年越しのメジャー入りを果たす。
それから2年後、田中はシーズン24連勝という前人未到の記録と、楽天初の日本一を置き土産にヤンキースへ入団。海を渡った岩隈はこの年、14勝とメジャー移籍後初めて二ケタ勝利を挙げた。
今シーズン、田中は先発予定の試合が2試合とも雨天中止に遭う不運に見舞われた。しかし、そのスライド登板によって岩隈との投げ合いが実現するという流れになりそうだ。2人ともまだ今季未勝利のため、今季初白星を懸けた一戦と言える。先に海を渡った先輩・岩隈が勝つのか、田中が勝つのか。興味は尽きない。