将来を嘱望された逸材
長らくカープの顔として活躍した野村謙二郎が引退して以降、ずっと空き状態であった背番号「7」。この栄光の番号を受け継ぎ、ファンの期待と共に背負った堂林翔太も、今年で入団7年目を迎えた。
2009年の夏の甲子園、エースで4番として中京大中京高を全国制覇をへと導き、その年のドラフトで広島から2位指名を受ける。その野球センスは投手としても、野手としても注目を集めたが、甲子園で記録した.522という高打率と12打点、さらには大会通算記録に並ぶ6本の二塁打が高く評価され、野手としての入団となった。
1年目と2年目は一軍出場なく、二軍で汗を流した堂林。転機は3年目の2012年、開幕スタメンを勝ち取って初安打を記録すると、一気にブレイク。6月には月間6本塁打を記録し、オールスター初出場も果たす。これ以上ない順調なシーズンを過ごし、前年まで一軍出場がなかった男は、終わってみれば全試合に出場していた。
しかし、12球団ワーストの29失策に加え、球団ワースト記録の150三振など、課題も多かった“実質1年目”のシーズン。この大ブレイクによって背番号も「13」から「7」へと変わり、球団の将来を担う選手としての期待を受けていた。
まさかの不振と、復活の兆し
ところが、翌2013年は打撃不振に苦しむ。夏場には故障もあって戦線を離脱し、105試合の出場で打率は.217に終わった。その後も復活の気配は見られず、2014年は93試合、昨シーズンは33試合と、徐々に一軍での出場機会も減って行った。
そして迎えた2016年、堂林は開幕一軍入りも逃した。それでも、ファームでは20試合に出場してリーグトップの打率.355を記録。1本塁打、10打点と結果を残すと、サードのレギュラーだったエクトル・ルナの負傷に伴い、一軍に昇格。19日のDeNA戦で2年ぶりとなる一軍でのアーチを描いた。
ただし、課題の守備では14試合で3つの失策を喫し、守備率.904。一軍で29失策を記録した2012年の守備率が.924だったことを考えても、課題を克服したとは言い難い状況である。
しっかり守れてこそ出番は増える。“守備”こそ堂林が乗り越えなければならない壁なのだ。
チームを支える柱となれ!
広島という球団には、衣笠祥雄や山本浩二にはじまり、前田智徳、野村謙二郎、そして現監督の緒方孝市などなど、“生涯赤ヘル”を貫き、現役中はもちろん、引退後まで地元で愛され続ける名選手が多い。
堂林には、これらの先輩に続く資質があるからこそ、甘やかされることはない。ルナの復帰すれば先発出場できる機会は減ることになるだろう。今のチャンスを逃してしまえば、また二軍に逆戻りという可能性だってないとは言えないのだ。
しかし、これらの試練を乗り越えて堂林が一軍のレギュラーを掴んだ時、男は太く強い柱としてチームを支える存在となっているに違いない。
カープ栄光の背番号「7」―。堂林翔太には、マツダの満開の赤がよく似合う。