新井貴浩の2000本安打へのカウントダウンが一桁となった。こチームが首位争いに絡み続けていることもあり、大記録達成にむけて益々盛り上がりを見せている。
新井は昨年、8年ぶりに阪神から古巣となる広島へ復帰したわけだが、大幅な年俸ダウンとなる中で、メジャーから復帰した黒田の時と同様に、広島カープというチームへの思いの大きさを口にしている。新井は2008年にFA権を行使する形で阪神に移籍したが、その時の人的補償で阪神から広島に移籍したのが、外野手の赤松真人だ。
赤松は、2004年のドラフト6位で立命館大から阪神に入団。プロ入り後の3年間、一軍での出場試合数は少なかったが、1年目にウェスタンリーグの首位打者、盗塁王を獲得。2年目の06年には一軍で初スタメン出場を果たすなど、着実に実績を積み、阪神の中でも期待の若手野手だった。そんな中での人的補償による移籍だったわけだ。
人的補償で移籍する選手は、相手チームがプロテクトした28名以外の中から移籍先のチームが指名することにより選ばれる。つまり、赤松はその時阪神がプロテクトした28名から漏れていたというわけだ。これだけ見ると、選手にとってはかなりショックなことだ。しかし、裏を返せば、広島からは必要とされて指名されたわけであり、考え方によっては喜ばしいことでもある。
広島に移籍してからの赤松は、移籍1年目の2008年4月にいきなりプロ初本塁打を初回の先頭打者打席で記録、さらにそこから3試合連続でホームランを記録するというかなりインパクトの強いスタートとなった。
翌2009年には開幕スタメンからオールスターにも初出場し初めて規定打席到達、2010年にはゴールデングラブを獲得するなどの活躍をみせた。
3試合連続ホームランを打っていることからも分かるように、長打力もある赤松だが、持ち味は守備力と走力だ。
2011年以降、スタメン出場は減って代走や守備固めで登場が中心となり、出場試合数や安打数だけ見ると、年々減少している印象しか残らないが、守備と走塁のスペシャリストとしての存在感は増している。
守備での失策数は0が並び、フェンスを上ってホームラン性のあたりをキャッチするスーパープレーが海外で話題になったこともある。盗塁に関しては、数だけ見るとそんなに多くないが、成功率はチーム平均をはるかに上回る8割近くをキープしており、代走として出場し警戒された中での盗塁と考えると、かなり価値のある数字であることがわかる。
代走や守備で出場した時の活躍ももちろんだが、最近ではベンチに控えているときにも走塁や守備のアドバイスを若手選手に伝えるなど、文字通りベンチに置いておくことの意味も大きくなっているようだ。
昨シーズン途中に国内FA権の資格を取得した赤松だが、シーズン終了後、権利を行使せず広島に残留することを早々に決断した。ここ数年は出場試合数が多いわけでもないため、出場機会を求めて移籍するという道もあったはずだが、悩むことなく残留を決めている。
こんなところからも広島カープと赤松との信頼関係の深さが垣間見える。
新井は広島復帰会見で「最後は育ててもらったところで燃え尽きようと思った・・・」と言い、赤松は残留の理由を問われて「カープが好きだから。」と語った。
2008年にすれ違った新井と赤松。それぞれのカープ愛が12球団でもっとも優勝から遠ざかっているチームを頂点に導く原動力となるかもしれない。
新井は昨年、8年ぶりに阪神から古巣となる広島へ復帰したわけだが、大幅な年俸ダウンとなる中で、メジャーから復帰した黒田の時と同様に、広島カープというチームへの思いの大きさを口にしている。新井は2008年にFA権を行使する形で阪神に移籍したが、その時の人的補償で阪神から広島に移籍したのが、外野手の赤松真人だ。
赤松は、2004年のドラフト6位で立命館大から阪神に入団。プロ入り後の3年間、一軍での出場試合数は少なかったが、1年目にウェスタンリーグの首位打者、盗塁王を獲得。2年目の06年には一軍で初スタメン出場を果たすなど、着実に実績を積み、阪神の中でも期待の若手野手だった。そんな中での人的補償による移籍だったわけだ。
人的補償で移籍する選手は、相手チームがプロテクトした28名以外の中から移籍先のチームが指名することにより選ばれる。つまり、赤松はその時阪神がプロテクトした28名から漏れていたというわけだ。これだけ見ると、選手にとってはかなりショックなことだ。しかし、裏を返せば、広島からは必要とされて指名されたわけであり、考え方によっては喜ばしいことでもある。
広島に移籍してからの赤松は、移籍1年目の2008年4月にいきなりプロ初本塁打を初回の先頭打者打席で記録、さらにそこから3試合連続でホームランを記録するというかなりインパクトの強いスタートとなった。
翌2009年には開幕スタメンからオールスターにも初出場し初めて規定打席到達、2010年にはゴールデングラブを獲得するなどの活躍をみせた。
3試合連続ホームランを打っていることからも分かるように、長打力もある赤松だが、持ち味は守備力と走力だ。
2011年以降、スタメン出場は減って代走や守備固めで登場が中心となり、出場試合数や安打数だけ見ると、年々減少している印象しか残らないが、守備と走塁のスペシャリストとしての存在感は増している。
守備での失策数は0が並び、フェンスを上ってホームラン性のあたりをキャッチするスーパープレーが海外で話題になったこともある。盗塁に関しては、数だけ見るとそんなに多くないが、成功率はチーム平均をはるかに上回る8割近くをキープしており、代走として出場し警戒された中での盗塁と考えると、かなり価値のある数字であることがわかる。
代走や守備で出場した時の活躍ももちろんだが、最近ではベンチに控えているときにも走塁や守備のアドバイスを若手選手に伝えるなど、文字通りベンチに置いておくことの意味も大きくなっているようだ。
昨シーズン途中に国内FA権の資格を取得した赤松だが、シーズン終了後、権利を行使せず広島に残留することを早々に決断した。ここ数年は出場試合数が多いわけでもないため、出場機会を求めて移籍するという道もあったはずだが、悩むことなく残留を決めている。
こんなところからも広島カープと赤松との信頼関係の深さが垣間見える。
新井は広島復帰会見で「最後は育ててもらったところで燃え尽きようと思った・・・」と言い、赤松は残留の理由を問われて「カープが好きだから。」と語った。
2008年にすれ違った新井と赤松。それぞれのカープ愛が12球団でもっとも優勝から遠ざかっているチームを頂点に導く原動力となるかもしれない。