日本ハムでコーチを務めた阿井氏
元プロ野球選手が高校野球の監督になることは、少し昔では考えられなかった。プロアマ問題。元プロ野球選手が、高校野球の指導者になれないことになった決定的な事件がおきたのは、1961年におきた「柳川事件」だ。
前年の1960年、社会人野球側が、プロ野球側へ、プロ野球選手が退団し、社会人野球チームへの登録の期限と人数を制限。これにプロ野球側は、選手の死活問題と考えて反発。それまでの社会人野球との〝紳士協定〟をすべて破棄したのだ。そして、無協定状態の中、61年に中日が日本生命の柳川福三外野手と契約、入団を発表した。これを受けて社会人野球協会は、プロ野球界との関係を断絶することを発表。日本学生野球協会もこれに同調し、ここからプロアマ断絶状態に突入した。これが、いわゆる柳川事件だ。
それから、約半世紀。元プロ野球選手が、高校の指導者になることは困難だった。1983年、ヤクルトに入団したのが阿井英二郎投手。群馬・東京農大二高で甲子園に出場し、速球を武器にプロの門をたたいた。プロ野球通算では17勝。
右肩を痛めたこともあって、92年限りで引退。その後は、高校野球の指導者への転身を目指したが、プロアマ規定や教員免許取得などで時間がかかり、高校野球の監督になるために、7年を費やすことになった。茨城・つくば秀英高、埼玉・川越東高で野球部監督を歴任。13年には日本ハムのヘッドコーチに就任した。元プロ野球選手が高校教員、高校野球の監督を経験し、プロ野球界に復帰したのは、この阿井は初だった。
昨季まで二軍監督を務めた岡本氏が和歌山南稜高校の野球部監督に
ところが、2013年。プロアマ双方が「学生野球資格回復制度」を創設し、元プロ野球選手が学生野球(高校、大学)を指導しやすくなった。当時は、プロアマの“雪解け”と大きく報じられた。これにより、事実上、プロアマ規定は撤廃された。
そんな中、昨季までオリックスの二軍監督を務めていた岡本哲司氏が、和歌山県の南陵高校の野球部監督に就任することが発表された。プロ野球での監督経験者が高校野球の監督になることは初めてのことだ。85年に横浜大洋(現DeNA)に入団。その後、日本ハムでもプレーした。ただ捕手として、レギュラーの座をつかめず、96年に引退。コーチや二軍監督を歴任した。
岡本氏は、コーチとしての力量はばつぐんだった。とくに03年から06年まで務めた日本ハム二軍監督時には、多くの若手を育て上げ、低迷するチームの再建に尽力した。武田久、田中賢、小谷野、糸井、そしてダルビッシュも…。情熱的な指導で、若い選手を熱くさせた。
和歌山南陵高校は、この4月に、休校中だった高校から校名変更し、誕生した。野球部も新たに新チームを作ったといい、部員数は1年生だけで40人。岡本新監督の力で、和歌山南陵旋風が吹き荒れそうな気配で、その情熱的な指導、“スパルタ”的な野球指導は、必ず高校球児の心を揺さぶるはずだ。
和歌山県といえば、あの高島監督が率いる智弁和歌山高や、箕島高など全国的にも知名度の高い高校もある。そこへ、南陵がどう食い込むのか。今年は無理かもしれないが、2年後、3年後を楽しみにしたい。