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黒田、上原、沢村…高校時代、控え投手だったピッチャーたち

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広島のベテラン右腕・黒田博樹、日米通算200勝達成なるか!?
 「プロ野球で活躍するピッチャーたちは、高校時代からずっとエースで活躍し続けてきたのではないか…」。そう考えるファンは多いだろう。しかし、中には高校時代は控え投手に甘んじ、その悔しさをバネにその後大学や社会人で才能が開花したピッチャーも少なくはない。かつては紀藤真琴(広島など)、高津臣吾(ヤクルトなど)、石井丈裕(西武など)などのピッチャーがプロ野球の世界で活躍している。

 現役のピッチャーでその筆頭格となるのが「男気」でおなじみの広島・黒田博樹だ。父・一博が監督を務める中学硬式野球チーム「オール住之江」から強豪・上宮へ進学した黒田だったが、同期のエースは後に日本ハムへ入団する西浦克拓だった。控え投手だった黒田は高校2年秋に公式戦で登板する機会はあったが、最後の夏は未登板に終わっている。

 後年、黒田に密着したドキュメンタリー番組で母校グラウンドを訪れた時に「嫌だったな」と当時の思い出を振り返っていた。その後、専修大に進んだ黒田は頭角を現しエースとして活躍。プロ入り後はもう説明無用だろう。

 海の向こうで活躍するレッドソックス・上原浩治も東海大仰星高時代は控え投手だった。元々外野手でプレーしていた上原は、高校3年の時に投手も兼任するようになる。チームのエースは建山義紀が務めていたため、高校時代は投手として目立った活躍はできなかった。高校卒業後、浪人を経験した上原は独自でトレーニングを重ね、大阪体育大で飛躍を遂げ大学球界を代表するピッチャーにまで成長した。

 巨人に入団すると1年目の99年にいきなり20勝を挙げ新人王を獲得。巨人のエースとして活躍しアメリカへ渡った後は、13年にレッドソックスのクローザーとしてワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。4月3日には41歳の誕生日を迎える上原。くしくも1歳違いの黒田とは「大阪出身、高校時代は控え、日米で活躍」と共通点が多い。

 昨年から巨人の守護神を任されている沢村拓一も、高校時代は目立ったピッチャーではなかった。栃木・佐野日大高では3年夏、背番号9を付け外野手兼3番手投手としてプレー。県大会決勝では文星芸大付に敗れ甲子園出場はならなかった。中央大進学後は筋力強化に取り組み、150キロを超える速球派ピッチャーとして台頭。巨人からドラフト1位で指名されるほどまでに進化を遂げた。抑えに転向した昨年は36セーブを挙げ、新しい姿を見せつけた。

 十亀剣(西武)は愛工大名電高(愛知)時代の3年夏に背番号10をつけセンバツ優勝を経験する。しかし当時の背番号は10で控え投手で、エースは斎賀洋平だった。日本大ではエースとして登板するも、チームは東都一部と二部を行き来する状態だった。しかし、JR東日本で速球派のサイドスローとして注目を集め、西武に入団。プロ4年目の昨年は11勝とプロ入り初の二ケタ勝利をマークし、今年も先発ローテーションの一角としてその活躍が大いに期待されている。

 高校時代は控え投手でも、その後も向上心を持って上を見続けてきたピッチャーたちがいる。これからも「元・控え投手」のピッチャーが数多く出てくる姿を見てみたい。
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