支配下登録を目指し奮闘する38歳
「右の大砲」。各球団が、チームの軸を作る上で、喉から手が出るほど欲しい存在である。なかなか育ちづらいという現状があり、助っ人外国人を獲得する球団も多い。ここ数年で、右の大砲として外国人選手とホームランのタイトル争いができているのは、中村剛也(西武)、中田翔(日本ハム)、山田哲人(ヤクルト)らくらいだ。
現在、中日のユニフォームを着る多村仁志も、2004年には40本、05年には31本の本塁打を放ったことのある球界を代表する右の大砲の一人。しかしその大砲の背番号は現在「215」。育成選手としては、史上最高齢となる38歳だ。昨年、DeNAから戦力外通告を受けたとき、多村は背番号8を背負っていた。
現役続行を目指すも、12球団合同トライアウトには参加せず、自主トレーニングに励むも、12球団はおろか、独立リーグからも打診の声は掛からなかったという。そんななか、多村の存在価値、経験そして野球への熱意を高く評価したのが、中日ドラゴンズGMの落合博満だった。落合は自身も、現役時代に史上唯一の三冠王に3回輝いた右の大砲。育成選手として契約し再起へのラストチャンスを与えた。
故障さえなければ…
横浜高校出身の多村は、94年ドラフト4位で横浜に入団した。入団後2年間は、ファームで下積みを経験。3年目のシーズンの開幕戦、地元神奈川出身で、生粋の生え抜きの大砲はデビューを果たす。しかし、安定した結果を残すことができず、その年は18試合の出場にとどまった。
その後2年間、出番がなかったが、00年に代打や守備要員として、84試合に出場。翌年は打率.163、1本塁打という成績に終わったが、02年に81試合に出場し、03年には91試合に出場して、18本塁打を記録し一軍に定着した。
04年からはレギュラーとなり、同年123試合に出場して打率.305、40本、05年は打率.304、31本を記録。07年に移籍したソフトバンクでも10年に打率.324、27本という高い数字を残した。
一方で、多村は故障による離脱が多かった。17年間の現役生活を過ごしたが、1度もシーズン全試合出場を果たしことがない。
現在、多村は二軍で8試合に出場し、21打数4安打、打率.190と支配下登録への道のりは険しい。それでも、多村は3ケタの背番号を背負って引退する選手ではない。多くの野球ファンが望むのは、勝負を決める多村のホームランではないだろうか。新天地・中日で多村の復活に期待したいところだ。