カリブの怪人・デストラーデは3年連続本塁打王
西武の主砲・メヒアの打棒は、5月に入ってもその勢いが衰えない。
5月1日のソフトバンク戦で9回にソロ本塁打を放つと、4日のオリックス戦では2打席連続弾。8日の日本ハム戦でも大谷翔平から本塁打を記録するなど、パ・リーグの本塁打、打点ランキングでトップをひた走っている。
来日1年目の2014年は、途中入団だったメヒア、それでも106試合の出場で34本塁打を放ち、中村剛也とタイトルを分け合った。
その驚異的なバッティングを見ていると、かつて西武で活躍した助っ人のホームランバッターたちが次々と思い起こされる。
真っ先に思い出されるのは、「カリブの怪人」ことオレステス・デストラーデだ。1989年から92年、95年と5年間西武でプレー。中でもファンの印象に残っているのは、秋山幸二、清原和博とともに形成したクリーンナップ。通称「AKD砲」は、常勝時代の西武を支えた。90年からは3年連続で本塁打王を獲得し、打点王も2年連続と、実績も申し分なしだ。
1年目の1989年は、メヒアと同じでシーズン途中の入団。そのため83試合の出場に留まったが、その中で32本塁打と驚異的なペースで量産していたことも特筆すべき点だろう。本塁打を打った際の、弓を引くような独特なガッツポーズでもファンに親しまれた。
また、デストラーデといえば、1990年の日本シリーズでの活躍が印象深い。第1戦の初回、巨人の先発・槙原寛己から先制の3ランを叩き込むと、第2戦では2年連続20勝を挙げたエース・斎藤雅樹から3ランと、2試合連続で本塁打を放つ。
この活躍で勢いづいた西武は、敵地・東京ドームで連勝を収めると、本拠地・西武ライオンズ球場(当時)でも巨人を圧倒。4勝0敗のストレートで2年ぶりの日本一に輝いた。なお、デストラーデはシリーズMVPを獲得している。
2002年に55本塁打を記録したカブレラ
メヒアの母国であるベネズエラの先輩には、2000年代に西武の主軸を担ったアレックス・カブレラという選手もいた。
来日1年目の2001年にいきなり49本塁打を放つと、翌年には王貞治(巨人)、タフィー・ローズ(近鉄)のシーズン最多本塁打記録(※当時)に並ぶ55本塁打をマーク。この年、西武はリーグ優勝を果たし、チームを牽引したカブレラはリーグMVPを受賞している。
さらに2003年も50本塁打を記録すると、その後も30本塁打以上を2度記録するなど、西武在籍7年間で273本もの本塁打を放った。
中でも語り継がれているのは、2005年6月3日の横浜戦。三浦大輔の投じたストレートをすくい上げたカブレラの打球は高々と上がり、西武ドームのレフトスタンドはるか頭上の天井を直撃した。
跳ね返ったボールは左中間へと落下したため、カブレラは一度二塁までで止まる。しかし、審判団の協議の結果、ホームランと認定。このホームランは推定飛距離180メートルとされており、打球が当たった場所には今でも記念の印がついている。
果たして、メヒアもデストラーデやカブレラのような「伝説」を作れるのか…。今後もメヒアの一打が見逃せない。