まさかの6失点炎上...
高卒でのプロ入りから3年。今やチームの絶対的守護神として君臨し、侍ジャパンの一員として日の丸も背負う。ドラフト1位入団から順調なステップを踏んできた楽天の松井裕樹だが、その表情はどこか自信なさげだった。
5月5日のロッテ戦。こどもの日ということもあって多くのファンが球場につめかけたこの試合で、松井は炎上した。
終盤まで点の取り合いでもつれた試合は、8回裏に松井稼頭央に勝ち越し弾が飛び出し、楽天が1点リードして9回へ。マウンドにはもちろん若き守護神が登る。
ところが、一死から四球で走者を背負うと、鈴木の安打を挟んで清田のタイムリー内野安打で同点に。つづく吉田に四球を与えて満塁とすると、代打の井口には勝ち越しの2点タイムリーを浴びた。
動揺を隠せない松井は、さらに中村に3ランを浴びてKO。絶対的守護神が1回持たず、6失点の大炎上。後続の投手も嫌な流れを止められず、1イニングで8点を献上するという悪夢の9回となってしまった。
投球から自信が溢れていたあの頃
これが今シーズンの初黒星。マウンドの松井はどこか追い込まれたような表情が目立ち、覇気が感じられなかった。
松井といえば、元々強気な姿勢が前面に出るタイプの投手だった。
2012年の夏の甲子園、1回戦で今治西(愛媛)戦で先発すると、大会史上最多となる1試合22奪三振をマーク。それも10連続三振のおまけ付きで、衝撃な“聖地デビュー”を飾る。
さらに続く常総学院(茨城)戦でも19個の三振を奪い、3回戦の浦添商(沖縄)戦は12奪三振。敗れた準々決勝の光星学院(青森)戦でも、三振は15個を奪う。1大会通算68奪三振は、夏の甲子園で歴代3位。左腕に限れば史上最多という大記録だった。
2年生エースとして旋風を巻き起こした男の表情には、自信がみなぎっていた。バッタバッタと打者をなぎ倒していくところを見ると、「打てるものなら打ってみろ」という感じ。まさにマウンドで躍動していた。
2年目のオフに味わった“挫折”
プロでは先発として1年目から登板し、2年目の昨シーズンから抑えに抜擢。その初年度でいきなり33セーブを挙げ、守護神としての地位を築き上げた。
しっかりと成績を残しながら、それでもどこか自信なさげに感じる面が見られるのはなぜか。その裏には、昨秋の苦い経験があるのかもしれない。
昨年行われた野球の世界大会「プレミア12」。松井は最年少で侍ジャパン入りを果たし、この大会に臨んだ。
ところが、初の国際舞台で本来の力を発揮することができず。準決勝の韓国戦では、9回無死満塁の場面で登板するも、押し出しの四球を献上。そこでマウンドを譲ると、後を受けた増井浩俊が逆転のタイムリーを浴びて3-4で敗れた。
後にその時のことを振り返り、「シーズンを戦ったあとの大会だったので、自分の体力、実力のなさを痛感した」と語った若き左腕。
それでも、「チームでは味わったことのないプレッシャーを経験できたので、今後のシーズンに活かして行きたい」と前向きに捉えていたが、5月5日のロッテ戦で見せた松井の表情は、どこか昨秋の“あの時”と似ていた。
失敗を乗り越え、“最強守護神”へ!
怖いものなしで突き進んできた松井にとって、日の丸を背負った大舞台での失敗はこれまでにない“挫折”だった。
野球の怖さ、1球の怖さを知ったことで、強気な姿勢が失われているという可能性は否定出来ない。しかし、松井にとってこれはひとつの試練。失敗を乗り越えて自信を取り戻した時、男はきっと“真の守護神”へ成長を遂げていることだろう。
現在楽天の取締役副会長を務める星野仙一氏は若かりし頃、若手投手にこう言ったという。「マウンド上で自信のない表情をしていたら許さない。打たれることを恐れて四球で逃げることも許さない。打ってみろ、という強い気持ちで投げろ」。
人並み以上の技術、ポテンシャルを持っていることは間違いない。ならば、あとは気持ちの問題。相手に向かっていけるかどうかが、勝負を分ける最後のポイントになる。
5日の試合からしばらく登板がなかった松井であるが、11日の西武戦で久しぶりの登板。1回を1奪三振でピシャリと締めると、12日の試合でも連投。1回を2奪三振、わずか9球で試合を締めてみせた。
もう“あの時”の自信なさげな表情はなく、時折笑顔すら見られた。復活へと向かっていることを印象づける2連投だった。
次代の“最強守護神”へ――。松井裕樹の勉強の日々はつづく。