パワーでメジャーに挑んだゴジラ
イチローが、新たな偉業への戦いに挑んでいる。
日米通算では、ピート・ローズが持つ安打数の歴代最多記録:4256本まであと「4」本。メジャー通算では、3000本安打まであと「26」。今年中は不可能と思われていた大記録が、あと少しまで迫ってきている。
これまでにも日本で結果を残した多くの打者たちが海を渡り、挑戦を挑んでは壁にぶつかってきた。ダルビッシュ有や田中将大をはじめとする日本人“投手”たちに比べ、「成功した」と言える日本人“打者”は少ないと言わざるを得ない。
どうしても体格では劣るメジャーの世界。そんな舞台でも日本でプレーしていた頃の輝きを失うことなく、永きに渡ってプレーをすることは難しい。
現在メジャーで活躍を見せる日本人“打者”といえば、イチローと青木宣親の2人になる。ともに日本でシーズン200安打の大台突破を経験しており、日本を代表する「安打製造機」として海を渡った。メジャーでも、期待される役割はさほど変わっていない。
しかし、そんなメジャーの屈強な打者たちと力で対等に張り合い、パワーヒッターとしてメジャーに認められた唯一の打者がいる。“ゴジラ”こと松井秀喜である。
日本を圧倒したパワーで世界へ...
松井といえば、言わずと知れた日本を代表するホームランバッター。甲子園での「5打席連続敬遠」という伝説を引っさげ、1992年にドラフト1位で巨人に入団した。
2年目からレギュラーに定着すると、はやくもシーズン20本塁打を記録。当時の長嶋茂雄監督による徹底した打撃指導のもと、2002年には史上8人目となるシーズン50本塁打を叩き出す。
日本人打者として、国内では無敵状態。そのパワーにおいて松井の右に出る者はいなかったと言えるだろう。そんな男は、2002年に満を持して海を渡る。
巨人初の海外FA移籍で、名門・ニューヨークヤンキースに入団。しかし、当時は日本人のパワーヒッターがどこまでメジャーに通用するのかと言う期待も多かった反面、通用せずに打撃スタイルを崩してしまうのではないかという周囲の不安の越えも少なくはなかった。
それでも、松井は入団1年目から名門ヤンキースでデビューを果たし、その「パワーヒッター」としての進化を見せつける。
「最後まで挑戦し続けた」という功績
本拠地デビューのツインズ戦。松井は挨拶代わりの一発を満塁本塁打で飾るという鮮烈なデビューを果たす。
1年目から打率.287、16本塁打、106打点という好成績を残し、中軸として十分な働きを見せたが、本人は納得がいかない。特に本塁打の「16」という数字に満足の行かなかった松井は、この年のオフから大幅な筋力強化と体重増加を図り、メジャーという舞台においても自らの生き残る道を「ホームラン」に求め、こだわった。
そして迎えた2年目の2004年。マークが厳しくなる2年目のシーズンにも関わらず、打率.298、31本塁打、108打点と、打撃3部門全てで前年を上回る好成績。さらに3年目にはリーグ7位の打率.305をマークし、23本塁打、リーグ8位の116打点と、本塁打以外の2部門で2年目を上回り、メジャーの打撃ランキングで上位に食い込む成績を収めた。
それでも、本塁打数の減少に対する悔しさを変わらない。オフには103キロから111キロという大幅な体重増加を図る。翌年には、守備の捕球時に左手首を骨折するなどのアクシデントに見舞われるなど、51試合の出場に留まったが、2007年には143試合に出場。打率.285、25本塁打、103打点と復活を遂げた。
結局、主に籍をおいたヤンキースでの7年間では、実に4度の20本塁打超えと100打点超え。あくまで“パワー”にこだわり、自分自身との戦いを続けた。
野球に限らず、日本人アスリートが海外挑戦をするときには、「日本人らしさを活かす」ことがいわゆる王道である。しかし、松井はあくまで「松井らしさ」を明確に刻み続けた。
真っ向から世界に挑戦した希少な日本人選手――。松井秀喜の功績は、種目や時代を越えて称えられるべきものなのかもしれない。