育成選手のヤクルト・由規が5日、支配下登録選手に復帰した。
由規は2007年高校生ドラフト1位でヤクルトに入団すると、3年目の10年に12勝をマーク。将来のエース候補として期待されたが、11年を最後に右肩の故障で一軍登板はなし。育成選手となった今季は、ここまで二軍戦、9試合に登板して、2勝3敗、防御率3.79の成績。不安視された右肩の状態は、中10日の登板間隔を空けて先発しても、問題がなかったこともあり、支配下登録復帰となった。
今回、由規が再び支配下選手に戻ったように、これまでにも「支配下→育成→支配下」となった選手は多くいる。今年、“超変革”を掲げる阪神で、先発マスクを被る機会が増えた原口文仁(阪神)がその一人だ。原口は09年ドラフト6位で阪神に入団も、12年オフに育成選手へ契約を移行。約3年半育成選手としてプレーし、4月27日に支配下選手に復帰した。復帰後は同日の巨人戦で一軍デビューを果たすと、2打席目でプロ初安打を記録。
5月に入るとスタメン出場する機会が増え、4日の中日戦でプロ初本塁打、19日の中日戦ではプロ初のサヨナラ打を放った。5月は打率.380、5本塁打、17打点の活躍で、野手の育成経験者では初の月間MVPに輝いた。さらに、監督選抜で「マツダオールスターゲーム2016」に出場を決めるなど、大活躍を見せる。
また、過去を振り返ると、現在は活躍の舞台をメジャーに移したチェン・ウェインもそうだ。チェンは04年に中日に入団し、当時は“今中二世”と期待されていたが、故障が多く07年の1年間は育成選手として契約。支配下選手に戻った08年は、プロ初勝利を挙げるなど、7勝をマークしブレイク。
翌09年に最優秀防御率(1.54)のタイトルを獲得し、チームの中心投手に成長した。10年と11年には左のエースとして、リーグ優勝に貢献。11年オフにメジャー挑戦し、現在はイチローと同じマーリンズでプレーする。
その他、河内貴哉、大田阿斗里、田面巧二郎、野手では中村紀洋、脇谷亮太、狩野恵輔などが“支配下→育成→支配下”を経験した選手となっている。
由規は2007年高校生ドラフト1位でヤクルトに入団すると、3年目の10年に12勝をマーク。将来のエース候補として期待されたが、11年を最後に右肩の故障で一軍登板はなし。育成選手となった今季は、ここまで二軍戦、9試合に登板して、2勝3敗、防御率3.79の成績。不安視された右肩の状態は、中10日の登板間隔を空けて先発しても、問題がなかったこともあり、支配下登録復帰となった。
今回、由規が再び支配下選手に戻ったように、これまでにも「支配下→育成→支配下」となった選手は多くいる。今年、“超変革”を掲げる阪神で、先発マスクを被る機会が増えた原口文仁(阪神)がその一人だ。原口は09年ドラフト6位で阪神に入団も、12年オフに育成選手へ契約を移行。約3年半育成選手としてプレーし、4月27日に支配下選手に復帰した。復帰後は同日の巨人戦で一軍デビューを果たすと、2打席目でプロ初安打を記録。
5月に入るとスタメン出場する機会が増え、4日の中日戦でプロ初本塁打、19日の中日戦ではプロ初のサヨナラ打を放った。5月は打率.380、5本塁打、17打点の活躍で、野手の育成経験者では初の月間MVPに輝いた。さらに、監督選抜で「マツダオールスターゲーム2016」に出場を決めるなど、大活躍を見せる。
また、過去を振り返ると、現在は活躍の舞台をメジャーに移したチェン・ウェインもそうだ。チェンは04年に中日に入団し、当時は“今中二世”と期待されていたが、故障が多く07年の1年間は育成選手として契約。支配下選手に戻った08年は、プロ初勝利を挙げるなど、7勝をマークしブレイク。
翌09年に最優秀防御率(1.54)のタイトルを獲得し、チームの中心投手に成長した。10年と11年には左のエースとして、リーグ優勝に貢献。11年オフにメジャー挑戦し、現在はイチローと同じマーリンズでプレーする。
その他、河内貴哉、大田阿斗里、田面巧二郎、野手では中村紀洋、脇谷亮太、狩野恵輔などが“支配下→育成→支配下”を経験した選手となっている。