輝かしい功績を残した男
福岡ソフトバンクホークスを率いる、第20代監督・工藤公康。秋山幸二監督より前年度日本一チームを引き継ぎ、就任1年目での日本一を達成した。
そして今年も首位を走り、チームとして日本一3連覇、工藤監督としても日本一連覇という偉業を虎視眈々と狙っている。
指揮官として大きな記録へ挑んでいる工藤であるが、選手時代から“記録”とは何かと縁があった。その華々しい記録たちは以下の通りである。
・最優秀防御率:4回 (1985年、1987年、1993年、1999年)
・最高勝率:3回 (1987年、1991年、1993年)
・最多奪三振:2回 (1996年、1999年)
通算224勝を誇りながら、実は最多勝がない、というのは少々意外なところではあるが、投手として輝かしすぎるくらいの功績を残している。そして男が残した“記録”というと、タイトルだけに留まらない。
☆実働29年(歴代1位タイ)
☆年齢別最多勝(42歳で11勝、44歳で7勝)
☆40歳以降2桁奪三振試合数
☆23年連続勝利(歴代1位タイ)
現役時代から体調管理を徹底し、自論を曲げなかった工藤だからできた功績である。
ここからが腕の見せどころ...
また、“記録”だけでなく、“記憶”に残るプレーも。
工藤を語る上で欠かせないのが、200勝を達成したあの試合だ。2004年の8月、当時巨人に所属していた工藤は、通算200勝に王手をかけて本拠地・東京ドームでのヤクルト戦に臨んだ。
同点に追いついた7回裏、二死二塁。阿部慎之助を二塁に置き、工藤が打席に入った。
ヤクルトのマウンドはベバリン。工藤はカウント3ボール1ストライクから放たれたインハイの139キロ速球を振りぬくと、打球はぐんぐん伸びてライトスタンドへ。
41歳・プロ入り23年目にして放った初本塁打は、日本プロ野球史上最年長記録。結局、工藤は自身で叩きだしたこの2点を守りきり、9回2失点の完投勝利。通算200勝を自らの大活躍によって引き寄せた。
現役時代から“優勝請負人”と呼ばれ、ここ一番で強さを発揮してきた工藤監督。その不思議な力は、監督になった今でも継承されている。
ここに来ての4連敗で、2位・日本ハムとのゲーム差は「3」と猛追を許しているものの、こういった状況こそ工藤監督が最も力を発揮してきたシチュエーションではないだろうか。
“優勝請負人・工藤公康”――。これからが男の腕の見せ所である。