赤ヘルの系譜 ~2番打者編~
四半世紀ぶりに訪れた歓喜に、広島の街が真っ赤に燃えた。
高く厚い壁を乗り越えた今だからこそ振り返りたい25年前の記憶...。あの時の広島と今の広島を比較していく企画の第2弾。今回は“2番打者”編。
後に“神”と崇められる男
当時は高卒2年目のハタチ。まだ駆け出しであったが、この年129試合に出場するなどレギュラーに定着した。当初は1番を任されていたが、シーズン途中から正田と入れ替わる形で2番に入ることが多くなった。
この年の成績は打率.271、4本塁打、25打点とキャリアの中では目立った数字ではなかったものの、持ち前の打撃技術を存分に発揮。また守備ではゴールデングラブ賞にも輝いている。
この翌年には130試合の出場で初の打率3割超えを果たすと、そこから3年連続で打率3割をクリア。3年連続のベストナインに4年連続のゴールデングラブ賞獲得と順調な歩みを見せたが、プロ6年目の1995年に選手生命を揺るがす大ケガを負う。
「右アキレス腱の断裂」――。これを期に状況は一変。本人から「前田智徳という打者はもう死にました」という言葉が出てくるほど、野球人生に影響を及ぼすケガとなった。
それでも、卓越した打撃技術が錆びつくことはなかった。1996年に復活して以降も、8度に渡って規定到達の打率3割をクリア。アクシデントを乗り越え、広島一筋24年のキャリアを駆け抜けた。
晩年は寡黙な“求道者”という印象も強い前田であったが、引退後は解説者としてお茶目な一面も披露。テレビ朝日野球中継のTwitter(@tvasahibaseball)で不定期に行われる前田のつぶやき「マエッター」(※本人はなぜか「ささやき」と言う)は、ファンの間で大好評を博している。
いつか、またカープのユニフォームを...。そう願うファンも多い。
前田とは異なる部類の“天才”
あれから25年、広島の2番に座るのは菊池涼介。プロ5年目の26歳だ。
前を打つ田中広輔、後ろを打つ丸佳浩とは同級生(※早生まれのため1つ年下)で、センターラインを形成。「タナキクマル」は新生・赤ヘル軍団の象徴的存在となった。
前田とは違ったタイプの“天才”であり、その攻守に荒々しいプレーは時に“天才”を超越した“変態”と表現されることもある。
3年連続でゴールデングラブ賞に輝いた守備はもちろんのこと、今シーズンはバットでもチームに貢献。制約の多い打順ながら打率は.323を誇り、13本塁打で54打点。シーズン終盤に見せた3試合連続の殊勲打など、勝負強さも光った。
打っても走っても守っても、そしてチームのムードメーカーとしても欠かせない存在。性格的にはまるっきり違うタイプではあるが、“2番を打つ天才”が広島の優勝を支えたという点は、25年前も今年も共通している。
【2番打者・比較】
▼ 前田智徳
・ポジション:外野手
・投打:右投左打
・実働:23年
[1991年] 129試 率.271(395-107) 本4 点25 盗14
[通算成績] 2188試 率.302(7008-2119) 本295 点1112 盗68
▼ 菊池涼介
・ポジション:二塁手
・投打:右投右打
・実働5年
[2016年] 131試 率.323(536-173) 本13 点54 盗13
[通算成績] 622試 率.283(2416-683) 本45 点213 盗75
※成績はすべて9月13日終了時点のもの