赤ヘルの系譜 ~5番打者編~
四半世紀ぶりに訪れた歓喜に、広島の街が真っ赤に燃えた。
高く厚い壁を乗り越えた今だからこそ振り返りたい25年前の記憶...。あの時の広島と今の広島を比較していくこの企画。今日は“5番打者”を見ていこう。
地元出身の頼れるベテラン
広島県広島市の出身で、崇徳高出身という生粋の地元選手。1976年のドラフト1位で広島に入団した。
超高校級の遊撃手と高い評価を受けてプロの門を叩いたが、そこには高い壁があった。赤ヘル打線の切り込み隊長・高橋慶彦である。
そのため、プロ入り後は二塁手や三塁手に加えて外野にも就くようになる。すると1980年には75試合に出場を果たすなど、俊足巧打を武器に徐々に一軍での出場機会を得るようになっていった
。
しかし、1981年のオープン戦。打球を追いかけた際にフェンスに激突すると、なんと右膝を粉砕骨折。選手生命をも危ぶむ大ケガで1年を棒に振ったが、1982年には86試合に出場するなど復活を果たす。
以降は外野手のレギュラーとして3年連続で打率3割をマークし、ベストナインに輝くこと3回、ゴールデングラブ賞は4回と輝かしい成績を残して中心選手へ。1985年以降は打率3割から遠ざかっていたものの、優勝した1991年は打率.301をマークして8本塁打、50打点。走攻守すべてでチームを支えた。
選手生命を揺るがすような大ケガを経験したものの、84年から6年連続で全試合出場を果たすなど見事なカムバック。実働15年で1531試合に出場し、通算打率は.284と広島一筋で戦い抜いた。
大ブレイクした4年目の若武者
あれから25年...。今のチームの5番を務めるのは、怖いもの知らずの新星・鈴木誠也である。
山崎と同じく右翼手であるが、鈴木はプロ4年目の22歳。過去3年間は規定打席に到達した経験もなかったが、今年はここまで125試合に出場。打率はリーグ2位の.333を記録している。
さらに本塁打もキャリアハイを大幅に更新する27本を記録し、大台に迫る93打点。盗塁も16個と、将来の三冠王やトリプルスリーを期待させるような成績を並べてきた。
実は今年の広島に対して用いられる「神ってる」という言葉は、緒方孝市監督が鈴木を評したもの。交流戦で2試合連続サヨナラ弾を含む3試合連続の決勝弾を放った際に、緒方監督から思わず出たのがこのワードだったのだ。
優勝を決めた巨人戦でも2本塁打を放つなど、今シーズンのMVP候補と言っても過言ではない若武者。初めて挑むクライマックスシリーズや日本シリーズの舞台での大暴れにも期待が高まる。
【5番打者・比較】
▼ 山崎隆造
・ポジション:外野手
・投打:右投両打
・実働:13年
[1991年] 122試 率.301(402-121) 本8 点50 盗9
[通算成績] 1531試 率.284(4946-1404) 本88 点477 盗228
▼ 鈴木誠也
・ポジション:外野手
・投打:右投右打
・実働4年
[2016年] 125試 率.333(453-151) 本27 点93 盗16
[通算成績] 269試 率.314(740-232) 本33 点126 盗22
※成績はすべて9月19日終了時点のもの