屈指のユーティリティ・プレーヤー
西武は1日、来季の選手契約について発表。山口嵩之、中崎雄太、宮田和希、木村昇吾、竹原直隆の5名との契約を行わない旨を発表した。
中でも驚きだったのが、木村昇吾の名前。加入からわずか1年での非情通告は多くのファンを驚かせた。
14年目・36歳。尽誠学園高から愛知学院大へと進み、2002年のドラフト11位で横浜に入団した木村。横浜では5年間で47試合の出場に留まり、2007年のオフにトレードで広島へ移籍する。
すると2008年、当時の指揮官であったマーティー・ブラウンの目に留まり、内野の守備固めや代走要員として一軍に定着。キャリア最多の94試合に出場を果たす。
以降も内外野どこでも守れるユーティリティ性と走力を武器に貴重な戦力となったが、レギュラー奪取までは至らず。そして迎えた昨年、FA権の行使を決断した。
苦難の連続
「他球団の声を聞いてみたい」。権利の行使に踏み出した木村だが、待ち受けていたのは苦難の連続だった。
待てど暮らせど、手を挙げる球団が出てこなかったのだ。加えて広島はFA宣言後の残留を認めない方針のため、この時点で戻る場所はない。声がかからない限り、来年の職場はないのだ。
焦りと不安だけが募る中、続報が出たのは12月25日のこと。西武が翌年の春季キャンプにテスト生として参加させることを発表したのだ。
FA宣言した選手が入団テストを受けるという前代未聞の事態。もちろん、プロ野球史上初のことである。それでも、それを受け入れなければ来年の居場所はない。覚悟を持って2月のキャンプに向かった男は、西武の背番号「0」を掴み取る。
どん底から這い上がることができるか
しかし、オープン戦では不振を極め、17打数2安打の打率.172。二軍スタートが決定する。
4月23日に一軍昇格を掴み、その日の試合で守備から移籍後初出場。そこから38試合に出場し、一軍定着も見えていたところでアクシデントに襲われる。
練習中に「右膝前十字靱帯断裂」の大ケガ。選手生命をも左右しかねない故障により、早すぎるシーズン終了が告げられた。
低迷するチームとは対照的に、古巣の広島は独走でセ・リーグを制覇。そして何もできない自分...。覚悟の移籍1年目は、想像を絶するような苦境の連続で幕を閉じた。...と思いきや、これで終わりではなかった。
そこに追い打ちをかけるかのごとく、発表された10月1日の戦力外通告。リベンジするチャンスすら用意されることなく、西武を去ることが決まってしまった。
膝の具合から11月のトライアウト受験も厳しい状況。災難続きの2016年、最後に一発逆転で這い上がることができるか。木村昇吾の今後から目が離せない。