17日、巨人の加藤健が戦力外通告を受けた。加藤は新発田農高から98年ドラフト3位で入団。加藤は通算185試合と出場数は少ないが、巨人一筋で18年間プレーした。
加藤のようにプロ入りから同じチームに所属し、今オフに戦力外通告を受けた選手は他にもいる。ヤクルトから戦力外通告を受けた田中浩康がそうだ。田中は04年自由獲得枠でヤクルトへ入団。3年目の07年にレギュラーに定着すると、10年には打率.300を記録。長年ヤクルトの正二塁手を務め、チームの中心選手として活躍した。
しかし、13年に開幕から打撃不振が続くと、次第に当時3年目だった山田哲人に出場機会を奪われるようになり、同年97試合の出場にとどまった。14年以降は山田がレギュラーに定着し、田中は外野に挑戦するなどしたが、ベンチを温める日々が続き、12年目の今季戦力外となった。
田中と同学年で、04年ドラフト5位でロッテに入団した大松尚逸も戦力外に。大松は4年目の08年に24本塁打、91打点を記録し大ブレイク。10年には自己最多の142試合に出場し、順調な成長曲線を描いていた。統一球が導入された11年以降は、故障や打撃不振が続き思うような成績を残すことができず。今季は二軍戦でアキレス腱を断裂したこともあり、一軍出場は1度もなかった。
投手では、13年目の筒井和也が阪神から戦力外通告を受けた。03年自由獲得枠で入団した筒井はプロ入り後5年間は二軍で過ごすことが多かったが、6年目の09年にリリーフを中心に45試合に登板。
12年には勝ちパターンの一角を務めるなど、同年58試合に登板して18ホールドを記録した。13年も登板数は減らしたが39試合に登板、防御率2.58と安定。14年以降は再び二軍生活が続いていた。
その他、中東直己(広島)、小嶋達也(阪神)、青松慶侑(ロッテ)などがプロ入りから10年以上同じチームでプレーしながら戦力外通告を受けている。
【プロ入りから同じ10年以上プレーしながら戦力外通告を受けた選手】
<18年>
加藤健(巨人)
<13年>
筒井和也(阪神)
<12年>
大松尚逸(ロッテ)
青松慶侑(ロッテ)
田中浩康(ヤクルト)
<11年>
鶴直人(阪神)
<10年>
中東直己(広島)
小嶋達也(阪神)
※戦力外は10月17日現在
加藤のようにプロ入りから同じチームに所属し、今オフに戦力外通告を受けた選手は他にもいる。ヤクルトから戦力外通告を受けた田中浩康がそうだ。田中は04年自由獲得枠でヤクルトへ入団。3年目の07年にレギュラーに定着すると、10年には打率.300を記録。長年ヤクルトの正二塁手を務め、チームの中心選手として活躍した。
しかし、13年に開幕から打撃不振が続くと、次第に当時3年目だった山田哲人に出場機会を奪われるようになり、同年97試合の出場にとどまった。14年以降は山田がレギュラーに定着し、田中は外野に挑戦するなどしたが、ベンチを温める日々が続き、12年目の今季戦力外となった。
田中と同学年で、04年ドラフト5位でロッテに入団した大松尚逸も戦力外に。大松は4年目の08年に24本塁打、91打点を記録し大ブレイク。10年には自己最多の142試合に出場し、順調な成長曲線を描いていた。統一球が導入された11年以降は、故障や打撃不振が続き思うような成績を残すことができず。今季は二軍戦でアキレス腱を断裂したこともあり、一軍出場は1度もなかった。
投手では、13年目の筒井和也が阪神から戦力外通告を受けた。03年自由獲得枠で入団した筒井はプロ入り後5年間は二軍で過ごすことが多かったが、6年目の09年にリリーフを中心に45試合に登板。
12年には勝ちパターンの一角を務めるなど、同年58試合に登板して18ホールドを記録した。13年も登板数は減らしたが39試合に登板、防御率2.58と安定。14年以降は再び二軍生活が続いていた。
その他、中東直己(広島)、小嶋達也(阪神)、青松慶侑(ロッテ)などがプロ入りから10年以上同じチームでプレーしながら戦力外通告を受けている。
【プロ入りから同じ10年以上プレーしながら戦力外通告を受けた選手】
<18年>
加藤健(巨人)
<13年>
筒井和也(阪神)
<12年>
大松尚逸(ロッテ)
青松慶侑(ロッテ)
田中浩康(ヤクルト)
<11年>
鶴直人(阪神)
<10年>
中東直己(広島)
小嶋達也(阪神)
※戦力外は10月17日現在