驚異の身体能力を誇る「上州のイチロー」!
目の前でさらわれた優勝を勝ち取るべく、数十億円規模の補強を敢行して話題をさらったオリックス。去就が注目されたエース・金子千尋が残留するなど、既存の戦力も充実している。たとえば、チーム防御率が唯一の2点台(2.89)だった投手陣を支える鉄壁の守備。特に注目したいのが外野陣だ。首位打者の糸井嘉男、選手会長の坂口智隆に、21歳の駿太が加わってきたのである。
プロ5年目を迎える駿太(後藤駿太)は1993年3月生まれ、群馬県出身。小学校1年から野球を始め、渋川市立渋川中学校では軟式野球部に所属した。中学軟式のレベルが高い群馬県で、3年夏はエースとして県大会3位。全国大会出場はならなかったが、130キロともいわれる剛速球を投げ、県内外から注目を集めていた。
選んだ進学先は、群馬県立前橋商業高校。名門校でエースになるつもりだったというが、同学年に硬式出身の好投手がいたため外野手に専念することを決意。1年秋から1番・センターとして活躍し、翌春のセンバツ甲子園出場を果たした。岩本輝(現・阪神)がエースの南陽工業高校(山口)に初戦敗退したが、練習を重ねて3年春には3番打者に。チームを夏の甲子園へと導いている。
50メートル走6秒0、遠投120メートル、マウンドから投げれば最速147キロ。右投げ左打ちながら、左でも投げられ、右でも打てる。超人的な運動神経とセンスを誇り、ハイレベルに走攻守そろった外野手として、ついたあだ名が「上州のイチロー」。甲子園では2回戦敗退だったが、高校日本代表に選ばれ、日米親善野球にも出場した。アメリカのグラウンドでは、広い守備範囲を支える俊足と判断力に、強肩からくり出すレーザービームを披露。観戦したMLB関係者は「日本代表で最も印象に残った野手」と絶賛したという。
2010年秋のドラフト。オリックスの1位指名は、目玉選手の一人、大石達也(早稲田大→西武)。再指名した伊志嶺翔大(東海大→ロッテ)を外し、再々指名した山田哲人(履正社高→ヤクルト)を外し、「はずれはずれはずれ1位」として4人目に指名したのが駿太だった。
ドラフトで自分より先に指名された選手に対抗心を燃やす選手もいる中で、駿太は「1位指名は信じられなかった。とにかく嬉しいです」「イチロー選手がいたし、本当にプレーしたかったチームです」と笑顔でコメント。プロの世界に入れる喜びを素直に表した。
プロ5年目、鉄壁外野陣の一角を担え!
プロ1年目の2011年は、高卒ルーキーで唯一の開幕1軍登録。そして、開幕戦で9番・ライトとしてスタメン起用。高卒外野手としては張本勲(当時・東映)以来52年ぶり、高卒ルーキーとしてはパ・リーグ通算9人目と話題になった。
1年目は1軍30試合、2軍57試合に出場。フレッシュオールスターでは優秀選手に選ばれたが、2軍での打率.221。「守備は1軍トップクラス。打力が課題」という評価を受けていた。2年目は1軍で32試合、3年目は117試合に出場。ブレイクしたように見えるが、主な役割は守備固めだった。
2014年、プロ1年目から4年連続開幕1軍を果たすも、前半戦は主に守備固めと代走での起用。それが徐々に調子を上げ、スタメン出場の機会が増えてきた。結果、127試合に出場し、246打数69安打、打率.280(規定打席未到達)。主に8番・センターで、1番を任されることもあった。しかし、リーグ優勝を決める大一番となったソフトバンク戦は途中出場。CSでは先頭打者ホームランを放つなど活躍したが、「まだ主力でもないし、レギュラーでもない選手です」と自分の立ち位置を認識している。
昨年12月の契約更改では、倍増の3000万円(推定)でサイン。その席で「来年(=2015年)はレギュラーを取ってほしい」とハッパをかけられたという。本人は「まずはレギュラーを取ることが最優先ですが、チーム内で全てにおいてトップの成績を取りたい。大きな目標を掲げて頑張っていきたいです」とコメント。同級生として仲がよく、アドバイスし合うこともあるという、セ・リーグ最多安打の山田、パ・リーグ盗塁王の西川遥輝(日本ハム)は、最高のお手本でありライバルだ。
レフト・坂口、センター・駿太、ライト・糸井で守る外野は、1990年代後半の谷佳知、田口壮、イチローを思い出させる。守備力は決して劣らない。課題の打撃をレベルアップし、自ら「打ちたい」という1番を任されるようになれば、1996年以来のリーグ優勝、そして、日本一も見えてくる。プロ5年目の大ブレイクに期待したい。
文=平田美穂(ひらた・みほ)