『俺たちの時代』を語りつくそう-90年代ダイエー大物外人選手ランキング-
工藤公康新監督を迎え、新たなスタートをきったソフトバンク。1990年代のダイエー時代は、その工藤がFAで西武から移籍してきた後半から徐々に優勝争いをする強いチームへと変貌していったが、前半は下位に低迷するチームだった。
そこで、それを補うために度々、メジャーリーグから実績のある超大物外国人投手を獲得している。他球団で活躍した経験のある「出戻り外人」を獲得することが多い最近の風潮からすると、ちょっと考えられないほどの有名選手の来日に、果たして高額な費用を投入しただけの効果があったかどうかは別として……当時のファンはその都度興奮したものである。
今回はそんなホークスの大物外国人選手をカウントダウンのランキングで紹介しよう。
シーズンセーブ記録保持者(当時)のシグペンも…
第3位はリッチ・ゴセージだ。メジャー史上歴代2位(当時)の通算307セーブを記録し、後に殿堂入りも果たしたほどの大物リリーフとして、1990年7月に途中入団した。この年から田淵幸一氏が監督に就任したものの、開幕から投手陣が崩壊して最下位路線に低迷しダイエーの投手陣を立て直す救世主として期待された。
だが、入団まもなく39歳になったゴセージに全盛期の力はなく、初セーブを挙げるまでにしばらくかかるなど、最終的に28試合で2勝3敗8セーブ、防御率4.40という成績にとどまった。
入団時の期待があまりにも大きかったことで、どうしても「期待はずれ」という感は拭えないゴセージだが、当時の日本のプロ野球では異例といえた39歳という年齢で145キロ前後の重そうな速球を投げる姿には、メジャーリーガーの迫力を実感できることが時折ながらあった。
続いて第2位はボビー・シグペン。1994年にこちらもシーズン途中で入団した抑え投手で、ホワイトソックス時代に当時はメジャー記録だったシーズン57セーブを挙げた実績を引っさげての入団だった。
しかし、来日前からすでに故障を抱えていたこともあり、投げる姿からは「あれれ? ごく普通のピッチャーじゃない?」という印象で、ゴセージのようなメジャーの片鱗を感じたくて、来日直後に東京ドームに見に行ったものの少しがっかりした記憶がある。
とはいえ、そこはメジャーで4年連続30セーブ以上を挙げたクローザー。要所はしっかり抑えてこの年2勝2敗12セーブ、防御率1.93と活躍。ダイエーは順位こそ4位だったものの、69勝60敗1分けと野村克也氏が監督だった南海時代から17年ぶりとなるシーズン勝ち越しに大きく貢献している。
ミッチェルは衝撃満塁弾デビューもお騒がせ外国人に……
そして、第1位はケビン・ミッチェルだ。こちらは、日本プロ野球の歴史における指折りの「お騒がせ外国人」として、今でも話題になることがあるので、ご存知の人も多いかもしれないが、やはり彼を入れないわけにはいかないだろう。
ジャイアンツ時代の1989年に47本塁打、125打点でナショナル・リーグの本塁打と打点の二冠に輝き、MVPまで獲得したミッチェルは、前年も打率.326、30本塁打と掛け値なしで「超大物+現役バリバリ」のメジャーリーガーとして1995年に来日。
ずっしりとした太めの黒人選手で、いかにも喧嘩っ早そうな迫力満点の風貌をしたメジャー随一の強打者は、当初から問題児として知られた存在でもあり、「いつまでもつか?」と不安視もされていた。だが、開幕戦の初回にいきなり無死満塁のチャンスが巡ってくると、いきなりレフトへやや低いライナー性の強烈なホームラン。さらに翌日もホームランを放ち、他には代えがたいインパクトをファンに与えた。
ただ、その後は「やはり」となる故障再発により、何度かスタメン出場から外れる試合があったあと、5月10日の近鉄戦を最後に姿がなくなり、病気により無断帰国していたことが発覚。その後、夏場に再来日してプレーしたものの、再び無断帰国したのを契機に球団はミッチェルを解雇。その後も、年俸の支払いなどを巡って裁判沙汰になるなど、散々な結果となったのは多くの方も覚えていることだろう。
こうしてみると、高額な報酬に見合った活躍は果たせなかったダイエーの大物メジャーリーガーたちだったが、当時下位に低迷していたファンにとっては、入団するたびに「期待感」という刺激をもらっていたのは確かであり、わずかな機会とはいえ、「さすがメジャーリーガー」と思わせるプレーを随所に見られたのは幸運だったのかもしれない。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)