『俺たちの時代』を語りつくそう~90年代に活躍したオリックス選手ランキング~
昨年、あと1勝およばず、リーグ優勝を逃したオリックス。
オフにはアメリカ帰りの中島裕之や、FAの小谷野栄一を獲得し、逆にメジャー移籍の可能性が高まっていたエース・金子千尋が残留したことで、「今年こそ優勝を!」という期待が高まるシーズンだったが……フタを開けると、いきなり開幕4連敗。さらに、1勝したあと再び4連敗という最悪のスタートとなった。
オリックスというと、90年代は「がんばろう神戸」を合言葉にリーグ優勝を果たした1995年、さらに日本一にになった1996年の印象が強い。
現在のコーチングスタッフの中にも当時の主力メンバーが何人か残っている。今回は、今後のオリックスの奮起を促す意味で、その中から印象深い人物を勝手にピックアップしてランキングで紹介したい。
ヘッドコーチの福良は堅実な2番セカンドで活躍!
まず、第1位は福良淳一だ。オリックスの前身である阪急時代からセカンドのレギュラーとして活躍しており、地味ながら背番号「1」を背負った。
堅実な守備と2番など打線のつなぎ役として機能していたが、そこは荒々しかったパ・リーグの猛者のひとりでもある。犠打の記録を見れば確かにその数は多いが、決してバントばかりしていたわけではなく、走者を置いて状況でも強行してヒットでつなぎ、大量得点のお膳立てをすることもよくあったと記憶している。
続いて、第2位は平井正史を選んだ。宇和島東高の出身の豪腕としてオリックスに入団すると、ルーキーイヤーの1994年9月に早くも1軍デビュー。それも、プロ初登板となった場面は、同点で迎えた9回裏無死満塁というとんでもないところからのリリーフだった。
この試合は残念ながらサヨナラ犠牲フライを打たれて敗れたが、翌年は2年目ながらストッパーとして大車輪の活躍を見せ、15勝、27セーブを挙げてリーグ優勝に大きく貢献。最優秀救援投手と新人王を同時に受賞した。
150キロを超えるストレートはまさに「豪球」と呼ぶにふさわしかったが、翌年以降は故障もあって停滞し、1995年並みの成績を残すことはなかった。
ただ、2003年に中日移籍後は豪球の“片りん”はかろうじて復活し、地味ながら貴重な中継ぎとして息長くプロの世界で活躍を続けた。その後、中日を戦力外となったが、トライアウトを受けてオリックスに復帰し、2年間プレーしたあと昨年現役を引退した。
そして、第3位はこの人、小川博文である。当時のパ・リーグのチームにひとりくらいは必ずいた「パンチ力のある下位打者」として活躍した内野手で、173センチとプロ選手としては小柄ながら、ヘッドをきかせた思い切りの良いスイングが印象深い。
若い頃は足も速く、その風貌からもオリックスの「突貫小僧」的な存在として勝負強さも発揮。長年に渡ってレギュラーの座を死守した。
開幕で大きく出遅れたも…優勝知るメンバーによる立て直しに期待
この3人は先述したとおり、現在、オリックスのコーチを務めている。福良については、2005年から日本ハムのコーチを8年間経験しており、そこでヘッドコーチを長年務めた経験を生かして、2013年に戻ってきたオリックスにおいてもヘッドに就任。現在もその手腕を発揮中だ。
また、小川については、選手時代に横浜で現役を引退すると、すぐに古巣・オリックスに呼び戻され、球団本部育成担当などフロントと現場を何度か行き来はしているが、2014年から再びコーチに復帰。平井は引退後、そのまま残る形でコーチに就任している。
優勝の喜びを知る指導者が、今後のオリックスをどのように作り上げていくのか。出遅れはしたが、昨年の成果を見ても期待したいところだ。
文=キビタキビオ