中日を戦力外になった吉川大幾が活躍!
6月4日の巨人対オリックス戦、9回裏1死満塁の場面。T-岡田が三塁線に痛烈なゴロを放ったが、今年、中日から移籍した吉川大幾(巨人)が、横っ飛びで好捕して併殺を完成させ、1対0の接戦に終止符を打った。
巨人は、長野久義、坂本勇人のような生え抜き選手がいて、さらに片岡治大などのFA選手が加わりラインナップを形成しているが、今年の吉川のように実績の乏しい移籍選手が、一軍にはい上がって起用されることがある。
これは、時代が90年代であっても同じような傾向があり、当時から「大型トレードやFAなどではなく、あまり騒がれずに巨人に移籍し、地味に頑張った選手」の存在が確かにあった。今回はその点に着目し、著者のセレクトで4位からカウントダウン式のランキングにて紹介していこう。
対左投手要員で起用された岸川。屋鋪は守備、走塁でひと花咲かせた
まず、第4位は熊野輝光だ。阪急1年目の1985年に打率.295、14本塁打でパ・リーグ新人王を獲得したが、実質、これがベストキャリアで、成績が年々落ちてきていた1992年に、勝呂博憲とのトレードで巨人入り。バットの先端を投手に向ける構えが独特で、当初はスタメン出場や勝負どころの代打などで起用されたが、セ・パの投手の違いに戸惑ったのか、打撃では良い結果を残せず。シーズン終盤は吉村禎章のあとに外野に入る守備要員として機能していた(翌1993年のオフに退団)。
続いて第3位は岸川勝也とした。1994年のシーズン中に、左腕の吉田修司とのトレードでダイエーから移籍してきた右の長距離ヒッターである。1989年から1991年までパ・リーグで3年連続20本塁打以上を記録するなど、破壊力抜群だったダイエー打線の中で活躍していた長打力を買われ、巨人では対左投手要員として、代打やスタメンで起用されることが多かった。
さらに、第2位は屋鋪要だ。80年代は大洋で活躍した12球団随一の快足外野手で、盗塁王3回、ゴールデングラブ賞5回獲得。高木豊、加藤博一と「スーパーカートリオ」として名を馳せた。だが、1993年オフに球団が断行した大量リストラの対象となって戦力外になり、かねてから能力を評価していた長嶋茂雄監督の意向もあって、巨人に入団。主に代走、守備要員として2年間プレーし最後の輝きを見せた。
打席に立つと、なにかしてくれそうな雰囲気のあった大野
そして、第1位は大野雄次とした。1987年に大洋に入団し、1991年オフに鴻野淳基とのトレードで巨人に移籍してきた。4位の岸川よりも活躍時期が少し前で、一発長打のある右の代打という意味では役割が近かったが、岸川が本来なら4打席立つことで力を発揮するタイプだったのに対し、大野は1打席集中型の文字通り「常に一発狙い」のオーラをまとっていた勝負師系。残念ながら巨人で活躍したのは実質1シーズンだけだったが、ここぞというところで打席に立つと、なにかしてくれそうな空気があった。それは、1994年にヤクルトに移籍後も変わることなく続き、プロ生活の多くを代打メインで過ごしながら、実働12年と長きに渡って現役を続けられたことからも、その存在感の高さが伺える。今回はその功績に重きをおいて1位とした。
他にも、90年代後半になると、1995年に四條稔とのトレードでオリックスから入団した俊足の内野手・佐々木明義や、1998年に阿波野秀幸との交換で横浜から移籍してきて内野の守備要員として活躍した永池恭男など、大物選手の陰に隠れて、出場数はわずかながらも、毎年、どこかのタイミングで一軍に上がってきて、チームをフォローしていた選手が多かった巨人。現在は冒頭の吉川や、同じく、現在一軍でプレーしている立岡宗一郎らが、近い立場にあると思われるが、ぜひとも良い意味で期待を裏切るような活躍で、過去の「便利屋」的な歴史を覆してほしいと願っている。
文=キビタキビオ(きびた・きびお)