コラム

メジャーでトルネード旋風を巻き起こした野茂英雄 -元・名物番記者が語るプロ野球ちょっと裏話-

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メジャー通算123勝を挙げた野茂英雄氏[Getty Images]
野茂英雄,

トルネード旋風


 「トルネード投法」という言葉をご存知だろうか?10代、20代の若者ならほとんど記憶の彼方か?文字通り、竜巻のごとく体を捻転させてから打者に向かっていく野茂英雄の代名詞。コントロールもつきにくい代わりに、打者からすればどこへ投げ込んでくるのかわからない恐怖心があるうえに、ボールの出どころも見えにくい。さらに150キロ超の豪速球に伝家の宝刀・フォークボール。掛け値なしにすごいピッチングだった。

 その「トルネード」が海を渡って20年の歳月がたった。今でこそ田中将大や青木宣親、さらにはイチローやダルビッシュ有などメジャーリーガーの活躍はテレビや新聞、ネットを通じて細大漏らさず伝えられるが、これも野茂がドジャースに移籍して以来のこと。厳密にいうなら1964年から2年間サンフランシスコ・ジャイアンツで主に中継ぎとして気を吐いた村上雅則が日本人メジャー第1号の称号を持つ。だが、日米の野球地図を塗り替えたパイオニアが野茂であることに異論はない。

 先駆者はいつの時代も軋轢と混乱を生む。野茂がメジャーの門を叩く直前の94年には球界全体が大きく揺れていた。前年から導入されたフリーエージェント(FA)制度とそれに付随する形で出てきた代理人制度。簡単にいうならそれまで統一契約書という球団側が有利な契約方式に対して選手たちが対等に権利を主張する流れが出来つつあった。今なら当たり前の事だが、当時は選手の保有権を持つ球団がまず聞く耳を持たない。かく言う我々マスコミも選手たちの言い分は理解してもすべて賛成にまわるわけにはいかない。なぜなら、野茂のようにFA資格(当時は10年)を取得前にメジャー行きを認めれば、その後のスター選手流出につながり日本球界の空洞化を招く恐れがあったこと。メジャーでは選手会が強くなりすぎて球団経営の根幹まで脅かしていたこと。日本ではドラフトの際、新人選手に巨額の契約金が支払われており米国流とは仕組みが違う。これら多くの問題点をはらみながらも野茂サイドは代理人に団野村を立てて夢の実現へと突き進んでいった。

 すったもんだの騒動を経てつかんだMLBへの道。すでに近鉄時代に1億円を越えていた年俸は約1000万円のマイナー契約からのスタートだった。それでも憧れだったメジャーリーガーとの力と力の勝負が楽しくて仕方なかったと野茂は言う。この年の4月下旬にメジャー昇格を勝ちとると6月のメッツ戦初勝利を皮切りに6連勝。オールスターの先発まで任された「トルネード」はいきなり奪三振王と新人王も獲得。その後、山あり谷ありのメジャー人生は14年間で7球団を渡り歩き07年には所属先のないまま南米ベネズエラのウィンターリーグまで参加して翌年のロイヤルズ戦力外通告で幕を閉じる。メジャー通算123勝のうち、2度のノーヒットノーラン達成と1918個の奪三振が侍・野茂の証である。

 引退から7年がたつ。現在はクラブチーム「NOMOベースボールクラブ」のGMとしてアマチュア野球の振興に力を注いでいる。毎年、キャンプの臨時コーチの姿は見かけるがおいそれとユニホーム復帰とはならないようだ。個人的には社会人野球時代からの盟友・古田敦也とのセット入閣を見てみたい。これまでの球界の常識に縛られない新時代のベースボール。期待は膨らむ。

文=荒川和夫(あらかわ・かずお)
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